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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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・利尻の淫乱女の半生。其の七

◇私の結婚(2)
利尻の女07-1(噴火湾から蝦夷駒ケ岳を望む)
それでも「顎別れ」といって、最後の晩はみんなで焼酎を買って、一晩飲み明かすと、
翌朝は各自に布団を背負って、出稼ぎ漁師達は家族の待つ自分の家へ、
渡り漁師達は釧路だとか根室だとか、場合によっては樺太の方までも、鱈釣り船や
缶詰工場へ「越年仕事」をするために、思い思いに番屋から散って行ったものでした。

私の両親も出稼ぎ漁師でしたから、本来なら「切り上げ」になると島へ帰る筈ですが、
島へ帰っても出面仕事が有る訳でもなし、結局は歩合金を食いつぶすだけでしたので、
毎年渡り漁師達に混じって「越年仕事」に出掛けていました。

私もその両親に連れられて、釧路の缶詰工場や、根室の魚の加工工場にも
働きに行った事があります。
そんな訳で、大抵の建網漁は十月になれば網を上げてしまうのですが、太平洋沿いの、
特に噴火湾の漁場では、冬の間も漁を続ける所が方々にありました。

日本海と違って冬でも割合と大時化が無い事と、それに親方の方からすれば、
翌春になって新しく網を入れるよりも、入れ放しにしておくと、
春に成っても補修だけで済むので、経費の点で得だったからです。
その代わり冬場の漁で水揚げもすくなく、若い衆も三人も居れば十分で、
森に近いその番屋もその口でした。

さて、父親がなぜその年に限ってその番屋に「居残り」をして越年しょうとしたのか
良く分かりませんが、「頼まれれば仕方ねえべ。まア骨休めに、たまに隠居仕事もええべ」
と言っていましたから、父親の働き振りを見込んで、
親方に船頭代わりを頼まれたからかもしれません。

父親の他に、二人残った若い衆の一人が伝三さんでした。是は後で聞いたのですが、
私の父親が「おめえも残れや」と誘ったのだそうです。

そういえば私達の仲が番屋の若い衆にも知れ渡り、父親から、
「テルさ、おめえあの男好きか?」
と聞かれたことがあります。私は赤くなって黙って居ますと、
「まア、あの男だら真面目そうだからええべ」
と、一人で納得していましたから、私の為に父親は伝三さんを誘って呉れたのでしょう。

その冬、両親が町の親方の所へ仕事の相談に出掛けて留守の間に、
私は伝三さんに新鉢を割らせました。最初は無我夢中でしたが、二度目は余裕が出て、
母親が若い衆とつるむ時の様子なぞ思い出して、私も腰使ったりして「オマンコ」という
ものの気持のいい事を知りました。

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利尻の女07-2
翌年の夏、私は伝三さんと一緒になりました。
祝言は、番屋の人達が焼酎を買って祝ってくれました。

ところが夫婦に成ったものの私達は、寝泊りする所に困りました。
まさか新婚の二人が番屋でほかの若い衆達と一緒に寝る訳にはいきません。
結局私達は、両親と一緒の小屋で寝泊りする事になりました。
それで困ったのは、私達の隣に母親が寝ている事です。

父親は相変わらず花札博打で、夜中でたなければ小屋へは戻って来ません。
母親は気を遣って「オラに遠慮すんな」と後ろ向きになってくれますが。
やっぱり遠慮で、お互いを弄り合っているしか仕方がありません。
やっと父親が戻って来て、母親が何か言ったのでしょう。
「そうか、ンだら、オラ達からお祭り始めるか」と言って始めました。
私達はやっと気兼ねなしに抱き合いました。是で母親にも遠慮が無くなった私達は、
次の晩からは、寝床に這入ればすぐにつるむ様になりました。

半月程経ったある晩の事でした。上から伝三さんに嵌められて、二、三度突かれると
気も遣ってないのに、いやに私の中の汁が多くなりました。抜いて貰って見ると、
伝三さんのヘノコが真っ赤になっていて、私は急に月のモノになったようでした。

伝三さんは諦めてくれましたが、寝苦しいようですし、私の方も中途半端ですから
寝付けません。二人でもそもそしていますと、さっきから私達の様子を見ていたらしい
母親が、見かねたらしく声をかけました。

「なァ、伝三さん。テルとオラは親子だし、辛抱できなかったら、
 オラの貸してやってもええんだど?」
私も驚きましたが、伝三さんはもっとビックリしたようでした。

ですが、今考えるとやっぱり私は淫乱な母親の娘でした。
「ええよ。おッ母ァのモノば借りてけれ」
私はそう言って伝三さんの体を母親の寝床の方へ押し出しました。
私にすれば、「どうせおッ母ァは誰とでも遣らせているんだから」
と思ったからです。

母親は、待っていたとばかりに伝三さんに抱きついて、両膝を広げました。
終わってから伝三さんに「おッ母ァはどうだった?」
と訊くと「テルちゃんの方がいい」と言ってくれました。
利尻の女07-3
母親は、待っていたとばかりに伝三さんに抱きついて、両膝を広げました。
終わってから伝三さんに「おッ母ァはどうだった?」
と訊くと「テルちゃんの方がいい」と言ってくれました。

一度そんな事があるともう駄目です。私達夫婦と一緒に住む様になってから、
さすがに父親も芝居をするのを控えていたので、母親は若い衆が欲しかったのでしょう。
私と伝三さんが一度すると、今度は自分の番だと言うように、
母親は伝三さんにせがんで来るようになりました。

まるでケダモノみたいに、母親と娘が一人の男を奪いあったのです。

その年の「切り上げ」がくると、釧路の缶詰工場に越年仕事に行かないかと誘われ、
両親と別れる決心をしました。こんな真似をしていたら、しまいに伝三さんを母親に
取られてしまうと思ったからです。

ここまで話したのですから、何もかも話してしまいましょう。
ケダモノの真似は母親と伝三さんだけではなかったのです。

ある晩でした。私は一度やって濡れた体のまま、母親と伝三さんがつるむのを見ていました。
ふと気が付くと、父親が上り端に立って、母親と伝三さんの悦がる様子を見ていました。
私は二人に知らせようと思いましたが声が出ません。
父親は千切るようにして着物を脱いで、褌を取ると、恐ろしいほどおっ立った
モノを剥き出しにして、事もあろうに私に向かって襲いかかって来ました。

「てめえ等が畜生の真似すんだら、オラも遣ってやる」
本当に逆らう間もなく、私は父親に串刺しにされていました。
さすがに父親のモノは立派なものでした。私のそこは、中の襞をそのたびに擦り潰される
みたいに、ヒリヒリするくらい良い気持ちで、私はいつの間にか父親に抱きついていました。

「畜生!畜生!」
父親は私を突き立てるたびに呪いました。私はしまいに、
「一緒に、お父!お父!」と叫んでいたようでした。

それからも、私は母親と伝三さんがつるんでいる横で何度も父親に遣られました。
私は父親に遣られながら、「ああやっぱしこの男はオラのお父ではない」と思いました。
本当の父親なら、娘の私にこんな事が出来る訳が無いと思ったからでした。
  1. あの日あの頃
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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