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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

小説・秋の夜話。其の五

秋の夜長2-7
礼子は、軒下の焜炉に柴をくべて、湯を沸かして居るのだった。
「でも、お茶でも飲んでから・・・」
「うん。おら、茶はいらねぇ。増蔵さん。そこの煙草入れを貸しておくんなさい。
 ふーっ美味い。・・・畜類は皆年に一度だな。人間みたいに、年がら年中つるんでちゃぁ、
 お互いに付き合うのが大変だわい。人間ならたっぷり一月は掛かるべえ。
 なあ、増蔵さん・・・あははは・・・」

増蔵は思わず恥白んで、しばし苦笑い噛んだが、
「あははは・・・」
自分でもそれと気付くような、不調和な付け笑いをした。

「じやぁ。遣りに行くべえ。礼子さんそっちの端を背負ってくんな。なかなか重いよ」
と、甚太郎は言った。礼子は恥ずかしそうに、終始無口であったが、
「こんなもの・・・あたし、一人でも持てますよ」
と、いそいそとして言った。
「うん。そうだいな。礼子さんは力持ちだから、一人でも持てべえ」
などと、二人は兎の檻の片端宛を荷いながら、ガサガサと裏の藪の中へ入って行った。

こうした二人の態度には少しも後ろめたい処は無い様であった。
唯檻の中で暴れて居るアンゴラ兎の白い姿が、増蔵に何かを訴えて、
目の前を通り過ぎて行くのが、何時までも印象に残っていた。

増蔵は、その後で一人針を動かしながら、頻りに想像を巡らして居た。
礼子と同じ同じく町育ちの彼は、家畜の交尾と言う様なものは、克って見た事も無いのだった。
しかし路上に戯れて居る、犬猫の動作などから、其の場の光景を如実に脳裏に描く事が出来た。
そして例によって、止め処も無い妄想を発展させるのだった。

母屋の裏庭の、鶏舎や豚小屋の並んで居る所に、アンゴラの雄の檻があった。
甚太郎と礼子は、其処までえっちらおっちら雌の檻を吊って行ったのである。
檻が近づくと両方の兎が騒ぎだした。

「まあ、なんとよく、騒いで居るじやねえか。たまげるな」
と甚太郎は言った。
「礼子さん。そっちの檻の口を開けてくんな。兎が飛び出ねえように気をつけてな・・・
 おらがこっちの檻から雄を出して、入れるだから・・・」

甚太郎は檻の中に手を入れて、雄を掴み出すと、手早く雌の檻の中に押し入れて、
パタンと檻の口を閉じた。二匹がバタバタと暴れ、直ぐ静まり、互いに近寄って身体を嗅ぎ合いつつ、
やがて一匹が他の顎を押さえ、その上に噛み掛かる。かと思うと、早噛みついて首を動かし掛けて居た。
 
秋の夜長4-3a
礼子は檻の前に蹲って、じっとそれを覗き込んで居るのだった。
「礼子さんも亦、馬鹿によく見て居るじゃねえかよ」
甚太郎はからかう様に言った。
「いやだ。あたし・・・見たくなんかないのよ」
「まあ、そう言うな。他に誰も居ねえから、たんと見て置くことだ。
 女子には得るところがあるだとよ。
大昔、人間はセキレイからアレを教わったと言うじゃねえか。
 セキレイよりアンゴラの頭の方が人間に近いそうだ」
「・・・・」

礼子はものも言わなかった。自ずから痞えて来る胸間を、もんぺの間で押さえ、
幾度か居ずまいを替えたりした。甚太郎はその様子を流し目に見ながら、
「全くの事同じだわい。・・・つぶって居るじゃねえかよ」
などと言った。

外部は毛で被われて、あるかなきかであるが、心の通いは続いて居ると見えて、
二匹の兎は、何時かな離れそうもない。それが一定時間後にはポロリと解けて、
固体が自ずから二つになる。

「はあ、やっとのことか。やれやれ」
と、甚太郎は思わず溜息をついた。礼子は澱の端に手を掛けたまま、
「まあ」
と呻いて、暫くは立ち上がれなかった。
「なんだ、礼子さん。これでもう腰が立たねえのか。起こしてやんべえ」
と言いつつ、甚太郎の伸ばした手が触れた時、礼子は慌ててそれを振り放った。

ここら辺りまで繰り広げられた増蔵の空想は、大体当らずと雖も遠からずであった。
しかし空想の及ばない所も大分あった。元々甚太郎は養子の身であるから、
口程の事も成し得ないと言う定評が有り、増蔵もそれを信じて居た。
従って、増蔵の空想もそこらがブランクで有った訳である。

空想の豊かな、寧ろ被害妄想の傾向のある増蔵さえ、女房の誘惑される場面を
思いつかなかったと言うのも、それが夫婦の間だからで、また夫婦間に神の摂理の
祝福が加わる所以であろう。町内で知らぬは亭主ばかりなりとあるのも、
畢竟それを言うのである。

亭主が妻の浮気に関して、空想を遮られて居るのは、誠に迂闊千万で、
客観的には嗤うべき事に属するが、亭主にとっては其れ故に幸福なのである。
つまりそれが神の祝福なのである。
秋の夜長4-7
神が何時頃から、被害者の亭主に肩を持つ様に成ったかについては、
古い歴史の上では、聖書のルカ伝第一章などが引用されるようである。
今から二千年前のことである。

ザカリアの妻エリサベツは、永らく不妊症で子が出来なかったが、或る時ふと妊娠した。
亭主のザカリアが自分の子で無いと言って、騒ぎ立てたので、神は一時ザカリアを
唖にして口を塞いだ。妊娠の下手人は実は神だったからである。

神が不妊症のエリサベツを姦通の相手に選んだのは、一度も子を生んだ事のない
新鉢の女体を必要としたからである。女体に蒔かれた胤は神のそれであるが、
その受胎には不可欠の女性の喜びをも考慮して、体は特に若い天使のガブリエルの
肉体を使ったと言われる。かくして生まれた子が、有名なバプテズムのヨハネである。

神は又同じ目的で、処女マリアを孕ませた。神は全知全能で、何でも可能の様に
思われて居るが、自分の胤を孕ますのはそう簡単には行かなかった様である。
この場合も前と同じ様に、神は胤だけを提供し、ことの方は若いガブリエルがやった。
神は女性の感情を重く視て居たので、それには必ず美天使を用い、感情の伴わない様な
人口受精は避けたらしい。それでは良い子が出来ないからであろう。そして生まれた子が
誰もが知っている、イエス・キリストで、世界始まって以来の傑出した人間である。

女は間男すると、良い子を生む傾向があると見え、神は人の間男は戒めても、
自分の子を生ませる段になれば、いやが上にも良い子であらしめるため、
いつも女には間男させた様である。この故に、ヨハネ、イエスなる二人の子も神は間男して
作ったのである。間男すると、亭主との間にトラブルが起こるのは何処の国でも必定である。
エリサベツの亭主のザカリアは早速大騒ぎしたので、神は唖にして沈黙させた。
マリアの亭主ヨセフは未だ許婚の間柄とて、騒ぐ程の熱情も無かったが、
これは一定期間痴呆にして置いた。

この様に神は、被害者である亭主には、格別の恩寵を加え、滅多に騒がせない様、
人の噂の七十五日から、妊娠十ヵ月の長きに亘って、唖にしたり、痴呆にしたりして、
無知なるが故の幸福を与えたのだった。その後も社会の安寧秩序がそのような計らい
によって保たれ、その反面には、ヨハネやイエスのような優秀な、間男の子が
続々と大手を振って産まれ、人類の発展に寄与して居る。
それも夫婦あっての間男であるから、その意味で夫婦も亦神の祝福し給うところである。

以上の様な事が、ルカ伝第一章に詳述されて居るが、
知らぬは亭主ばかりなりの故事来歴は、その淵源亦遠しと言わねばならぬ。
  1. 疎開先の思い出
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アヤメ草

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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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