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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

昔の臆病少女が今私の妻。其の一

~覗き見た大人の世界~
昔の・・・01
私は昭和24年群馬県の農家の次男坊として生まれました。
少年期を田園風景の広がる土地で育ちました。
田舎の空気は綺麗だし、環境的には良い所です。しかし、何十年も昔の事ですから、
昼間は野に山にと遊び回っても、夜になると娯楽らしい娯楽もなく、
子供にとっては退屈な時間を過ごさねば成りませんでした。

私たち悪ガキ仲間は、よく覗きに精をだしたものです。田舎の家は開放的で、
夏なんかはそれこそ窓も閉めずにセックスをする夫婦が多い事を知っていたからです。
何しろ、ほとんんどの家は水田に面していましたから、覗かれると言う心配も、
それほど無かったのでしょう。

私達は成るべく若夫婦のいる家を覗きました。その方がセックスも大胆で激しいし、
覗くのが楽しい事を知っていたからです。
私達は大体気の合った仲間四人で覗きをしました。
夫婦の交わりを息を潜めて窓から覗き、皆してセンズリを掻きました。
そして誰が一番、射精を長く我慢出来るか、或いは精液を遠くまで飛ばせるか等と、
競い合ったものです。

何しろ中学生です。刺激には堪え性がなくて「アハ~ン」なんて若妻が
気持ち良さそうな声を漏らしたりするものなら、すぐに発射してしまうほどでした。
しかし、そのまま萎えたりせず、連続してセンズリを掻く所は、
私達の凄いところ?でありましたが・・・。
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昔の臆病少女が今私の妻。其のニ

~チー坊が好き!~
昔の・・・04
私が良太の妹・千代子が好きなことに気づいたのは、中学三年の秋でした。
色白の千代子は、中学生になってから急に身体に丸みが帯、胸の膨らみもハッキリ
分かるようになって大人びてきていました。

そんな彼女を見ると、私は胸騒ぎを覚えるようになったのです。私のセンズリの対象は
エロ本の女優や、覗きの若奥さんから千代子の未だ見ぬ裸に変わっていきました。

悪ガキの私はとうとう我慢できなく成って来て、告白をする決心をして、
彼女を神社の境内に呼び出したのです。
もう稲の刈り取り、脱穀も、籾すりも終わった時期で、
夕陽が寂しそうな色を帯びてくるころでした。

私は息を切って階段を駆け登っていき「ケンちゃん、何の用?」と無邪気に瞳を輝かす
千代子を、大胆にもいきなりギュッと抱き寄せました。

「俺、千代子が好きだ!」
とストレートに彼女に対する想いを言葉にし、唇を押し付けました。
千代子は相当に驚いたようで、私の胸のなかでもがきましたが、
私が尚も強く抱き締めると、対抗が弱く成ってきました。

歯と歯が当たってカチカチと鳴りました。
「好きだ!」
私はもう一度、熱っぽく囁くと、もう千代子の身体から固さが抜けて、柔らかさを感じ、
どうにも我慢できなくなって、手をスカートの中に入れていったのです。

「アッ、ケンちゃん!」
千代子が私の手首を慌てて押さえようとしました。けれども、私はそのまま強引に太腿を
撫で上げ、下着の中に指を潜り込ませようと試みました。
「・・・ケンちゃん」
千代子が私の手首をギュツと握り締めました。
「ダメかい?」
「ううん・・・そうじゃない」
千代子は激しくかぶりを振ります。そして、
「アタシも、あんなこと、してみたい」
と、私の胸の中で顔を真っ赤にします。
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昔の臆病少女が今私の妻。其の三

~ふっくらオマンコ~
昔の・・・06
私は自分が年上なのだ言い聞かせ、気持ちを懸命に鎮めて、
千代子の下着に手をかけました。

「いいか、脱がすぞ」と、かすれ声で言ったら
「ウン」と頷いて顔を手で覆い隠した千代子です。
私はすぐさま、彼女の下腹部に視線を走らせていきました。

千代子のオマンコにはハッキリ判るほど柔らかい陰毛が一面に生えていました。私は乾く
唇をペロリと舐めると、千代子の両膝に手をかけ、グイッと思い切って押し広げました。

「あっ・・・」
チョコが体をビクッと強張らせます。けれども、オマンコの部分を隠そうとはしません。
ふっくらとしたオマンコでした。一筋の裂け目が走っていて、とても綺麗です。
それが薄暗い闇の中でも分かります。私は暫らくの間、見とれていました。

「あまりみないで、恥ずかしい・・・」
と、小さく言いました。それが私の最後のためらいを押しやりました。
「チー坊、綺麗だよ」
私は囁き、ワレメに指を這わせていったのです。
「あ、あぁぁぁ・・・」
千代子がピクン、ピクンと体を震わせました。
「おっ、おい、大丈夫か?」
と訊いたのだから、わたしもまだウブな少年でした。
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昔の臆病少女が今私の妻。其の四

~成熟した肉体美~
昔の・・・09
板前修業をしていた私の前に千代子が再び姿を現したのは、
私が二十二歳の時でした。千代子は短大を卒業して二十歳を迎え、
すっかり大人の女といった感じで綺麗に成っていて、私を驚かせました。

懐かしさが私達の気持ちを、中学生だったころの様に急接近させました。
私達は当然の様に、連れ込み旅館の門を潜っていたのです。
千代子の肉体の方も、成熟した大人の女に成っていました。
乳房も大きく膨らんで、肌もしっとりとしています。

「ほんと、綺麗に成った。これがあのチー坊か・・・」
「ケンちゃん・・・」
裸身に唇を這わせると、ゆっくりと仰け反って、熱い息を吐き出しました。
私はキスをすると、太腿をこじ開けて、ワレメに指を埋め入れます。
「ああああ・・・」
そこはもう、溢れんばかりの淫液を湛えていました。すると、千代子が開いていた
太腿をとじます。しかし、それは恥ずかしいからと言うより指の刺激をより強く
感じるためにとった行動のようでした。

「あはっ、い、いいっ・・・気持ちよくって頭がヘンになりそう・・・」

千代子が女らしく身をくねらせ、両手で顔を覆い、
真っ赤になって全てを見せて呉れている。私のペニスはいきり立ち、
下腹につきそうなほど起立してピクンピクンと脈動しています。
羞恥に照った千代子の身体を引き寄せ唇を合わせる。優しさのこもった穏やかな
接吻が次第に烈しく性的なものに移るにつれ、千代子は立って居られなくなった。
私はそんな千代子を抱き上げたまま、ベッドに運んだ。

蒲団の上で千代子は身体を開いた。レースのカーテン越しに陽が射す明るい寝室で、
千代子の胴体と手足はさまざまな文字の形をした。私が勝手に想像していたほどの、
あられもない反応を示す訳ではなかったが、子猫が甚振られて居るみたいに、
微かに洩らす喘ぎ声が煽情的だった。
そんな恥ずかしがる千代子の足を折り曲げて、足首を高々と持ち上げ、
膝裏を押さえつけて屈曲位にします。

茂みの下の亀裂も、薄茶色のアナルまでも完全に露出し、呼吸する度に息づいている。
千代子のオマンコからプ~ンと甘酸っぱい匂いがしました。舌で肉襞を掻き分けると、
愛液が溢れ出してきます。
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乙女の心遣い。其の一

~私の少年期~
乙女の心遣い01
昭和33年中学を卒業した私は、大阪へ出て小さな町工場に就職しました。
故郷は、奈良県に近い三重県の名張と言うところです。
今でこそ、新興住宅地となり、大阪への通勤圏内にもなっていますが、
当時はまだまだ田舎そのものでした。

私は、名古屋に出ようか、大阪に出ようか迷いましたが、
結局、母親の進めもあって大阪に出ることにしました。母親は、
私を商人にしたかったので、まずは船場あたりに丁稚に出したかったようなのですが、
いかんせん丁稚では給金が安すぎるために断念せざるを得なくて、
それで少しでも多く仕送りの出来る工員の道を選んだのでした。

それでもそのうちに、
大阪に居れば商人になる道も開けるかも知れないと言う母親の言葉でした。
父親は、戦死こそ免れたものの、戦地での病が元で、結局、母と私とまだ
幼い妹二人を残して亡くなりました。私が中学一年生の時です。

私は小学生の高学年に成った時から、すでに新聞配達のアルバイトをしていました。
夏休みに成ると、鉱泉所と言うところでも毎日働きました。

同級生のなかには、高校進学は勿論、大学へ進む事も当然と言う者も居ましたが、
中学を終えただけで社会に出たのは私だけではないと言うより、
まだまだ、高校や大学へ行く方が、事に田舎だけに例外と言う時代でした。
しかし、せめてもの救いは、まだ中卒が、金の卵などと呼ばれていた事です

私は、何人かの同級生と共に、大阪行きの電車に乗りました。
多くの家族が見送りにきていましたが、私の母は仕事で来られず、
変わりに妹二人が来ていました。母は、日曜も働いていたからです。

私は長男として母を助けなければ成らないと想いました。
せめて妹達は私の稼ぎで高校にやってやろうと、
小さな手を必死で振る二人を車窓から見て思ったものです。
「兄ちゃん、がんばるからな」
そう小さく呟いたことを昨日の事のように思い出します。
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乙女の心遣い。其のニ

~幸せの小鉢                                            ~
乙女の心遣い03
二十二歳になった私は、工場の寮を出る事に成りました。
同じ様な中卒者が、少ないとはいえ毎年入ってくるからトコロ天式に
押し出されるのです。汚い寮でしたが、それでも住めば都でした。
出る一年前には寮長になり、一人部屋が与えられていたので、
出たくなかったのですが、しかたありませんでした。

外に出れば、自分でアパートを借りねばならない事もですが、
めしの支度も自分でせねば成りません。金も掛かるが手間も掛かると言う事でした。
仕送りもまだまだ続けており、遣り繰りを考えると、暗い気持ちに成ったものでした。

「自炊もけっこう楽しいぜ。たまには食わせてやるからこいよ」
先に寮を出た先輩がそういって呉れたりしましたが、
私は、どこか飯屋に行けば良いと思いました。
残響もあったりしたので、とても帰ってから飯を作る気には到底成りませんでした。 

寮は、工場の前でしたが、寮を出るからにはプライベートを楽しみたいと思い、
今度は少し離れた処にアパートを借りました。それでも歩いて二十分ほどの距離です。
駅に近かったせいか、四畳半のボロアパートにしては家賃が高かったと思います。

驚く事に、隣りの四畳半には、四人家族が住んでいました。田舎出の私にはおよそ
信じがたい光景でしたが、当時では、そんな家庭は珍しくはなかったようです。

最初のうちは、あちこちの食堂で晩飯を取っていましたが、
そのうちに一軒の大衆食堂ばかりに行くように成りました。

今でも時折り見かけますが、ガラスのショーケースに、様々なおかずが並んでいて、
それを好きなだけ取り、ご飯と味噌汁をもらう形式の食堂です。
田舎育ちの私には、洋食や丼物より、やはりそういったおかずを何品か並べる
食事の方が合いました。

もっとも、それは丼物などと違って、結構高くつきました。
店のイメージからして安いという気がするのですが、美味そうなので一品、二品と
おかずをついつい取ると、結構高く成ってしまうわけです。

それでもやっていけたのは、時期が高度成長期で残業が多く手取りは多かったのですが、
金は有っても暇がない状態で唯一食べる事ぐらいしか楽しみがなかったからです。
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乙女の心遣い。其の三

~乙女心の涙~
乙女の心遣い05
女には縁のない男と思っていた私でしたが、彼女は、それからも、
「ハイ」と言っては、じゃこおろしなどの小鉢を置いて行ってくれたのです。
「カルシウム、とらなきゃ」
「うんっ」
私もしだいに笑って応える様に成りました。
「いつもありがとぅ」
勘定を済ませる時に、こっそりと小さな声でようやく言ったものです。
もう胸はドキドキでした。

それからも他の客が居ても居なくても一品のオマケは続きました。
(もちろん親父さんには判らない様にでしたが)
それがもはやただのサービスでない事ぐらいは、いかに鈍感な私でも分かりました。  
そして彼女の方から色々と話し掛けてもきました。

私は意を決して彼女をデートに誘う事にしました。
万一断られたらどうしょうとビクビクものでしたが。
お釣りを貰う時に、チラッと厨房の方を見ました。中では彼女の両親が働いていました。

忙しそうでした。今がチャンスだと思って、
「こ、今度の休みの日、遊園地にでも行かへんか」
と小さな声でどもりながら言ったのです。
彼女は、いかにも嬉しそうに頷いて呉れたのです。
私は、ついに念願の初デートをすることにこぎつけたのです。
天にも昇る気持ちと言うのは、こう言う事を言うのでしょうか。

まつたく不器用丸出しのデートでしたが、
それからも二人は映画に行ったりハイキングに行ったりしました。
その山の中で、初めて私は彼女の唇を奪いました。
彼女は震えていましたが、私のされるがままでした。

今時の若い人はそんな悠長な事をやっているカップルはないようですが、
昭和四十年代初めの頃では、まだまだカップルは段階を踏んで進んでいったものでした。
キスの次はペッティングですが、それは彼女が始めて私のアパートに来た時に行いました。
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乙女の心遣い。其の四

~婚前旅行?~
乙女の心遣い07
彼女の店が珍しく連休を取ると言うのです。当時はまだ週休二日制などは
定着しておらず祝日も今より少なかったのです。彼女の店もそうですが、
私の工場でもまとめて休めるのは正月とお盆休みぐらいでした。

「どっか旅行にでも行く?」
「うんっ」二つ返事でした。
私は、その瞬間に、彼女との結婚を決意しました。
ただ、プロポーズしたからといって、是ばかりは分かりませんでした。
旅行はその時だけのことですが、結婚は一生のことですから。

私は溜まっていた有給休暇を纏めて取り、二人して、武田尾温泉へ行きました。
大阪から一時間もしない所ですが、比べるもなく実に鄙びた温泉で、
旅館も四軒しかありません。それだけに人目につきにくいだろうと思ったわけです。
温泉にはいり、私達にしては実に豪勢な食事を取りました。
武田尾温泉の名物は“イノシシ鍋”です。私も彼女も初めてでした。
「でも妙ちゃんのとこの料理のほうが、オレには美味えな」

遅く成りましたが、彼女の名は、妙子で上に私と同じ歳の兄がいて、
下に妹が一人居ました。
「それを聞いたらお父ちゃん、喜ぶわ」
「でもオレと二人でここへ来てること知ったら怒るだろうな、オヤジさん」
「お母ちゃんは知ってるよ」
「ええっ!?」
と言うことは、彼女も私と結婚する積りなんだと思いました。
顔を見ると、一点の迷いもない晴れ晴れとした顔でした。
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夢枕に立ったおさげ髪。其の一

~故郷への想い~
夢枕に・・・01
うなされていたらしい。ハッとして目が覚めた。
隣りの布団では老妻の時恵が寝息を立てていたが、
私の脳裏には夢の中に現れた女の声と姿がはっきりと残っていた。

「お元気そうで安心しました。ずっとずっとお幸せに」
そう告げて女は寂しそうに微笑み、霧の中に淡く消えていった。
セーラー服におさげ髪の似合う美少女だった。
高校時代に一級下だった康子である。

「馬鹿言え!俺はお前を捨てた訳じゃない。なぜ逃げる?」
夢の中でそんなふうに何度も叫んだような気がする。
叫んでいる私も十八歳の少年だった。

目が覚め、薄明かりの中で天上を見上げる。
なぜ今頃に成って彼女の夢を?
若き日への懐かしさと嫌な予感が入り交じって込み上げてきた。

隣を見る。老妻が鼾をかいている。結婚してかれこれ四十年。
かっては美人と呼ばれた時期もあったが、今では隣りに私が寝ていても平気で
寝屁をこくような女である。

故郷を離れて五十年か。みんな、如何してるだろう・・・
望郷の念がフッフッと込み上げてきた。私の故郷は北海道だ。
大学受験を失敗した後、予備校に通う事を口実に上京して五十年。
紆余曲折を経て、今は北関東の某市に住んでいるが、
未だ道産子の気概は失ってはいない積りで居る。

帰りたい。それが無理なら一週間だけで良いから里帰りしてみたい。
そんな思いに駆り立てられた。
日々、仕事に忙殺されて故郷を思う事など皆無だが、
そんな私を駆り立てたのが夢枕に現われた康子の存在だった。
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夢枕に立ったおさげ髪。其の二

~意固地だった私~
夢枕に・・・03
「親衛隊」の口から用件を聞く。元書記長の私に応援演説を頼みたいのだと言う。
照れながら引き受けた。結果、彼女はダントツの得票数で当選した。
彼女の魅力によるものだったのか、わたしの応援演説が効を奏したのか?
多分百パーセント前者によるものだったと思うのだが。以来、私と彼女の交際ははじまった。

彼女は列車通学をしていたが、下校時には毎日の様に駅までの道程をデートした。
が、当時は昨今の様に高校生どおしの交際は未だ市民権を得てはいなかった。
連れ立って歩くと奇異な目で見られたことも有る。
「あの二人はいずれ結婚する。妊娠して堕ろしたこともあるらしい」などと、
校内でまことしやかに噂された事もある。だが私達の交際は周囲の居に反して
純愛そのものだった。互いに交換日記を綴り、若さならではの苦悩をお互いに
ぶつけ合っていただけである。

別離は一年後にやって来た。私は北大の入試に失敗し、
「早稲田を出て弁護士になる。そのためにも東京の予備校に行く」と、
勝手に上京を決めてしまったのである。両親の猛反対に遭った。
しがないサラリーマンだった父からは、「仕送りなど出来ない」と諌められた。

「学費も生活費もアルバイトで稼ぎ出す」と押し切った。今思えば実に無謀で軽率な
判断だったと反省するのだが、卒業式を終えて旅立つ前日、
下校時にいつもの様に私の家に立ち寄った康子に、私は切り出した。
共稼ぎだった両親は不在だった。

「俺、明日、北海道を発つ」
「そうね。もう会えないの?」
「わかんねぇ」
答える私はさすがに高ぶっていた。彼女の手を握って引き寄せた。
ちょつと躊躇ってから彼女が体を預けてくる。キスを交わした。
後にも先にもたった一度のキスだった。

彼女の唇は信じられないほど柔らかく、
黒髪から漂ってくる甘い香りに私は一気に昂ぶった。
勢いに任せて手をセーラー服のスカートの中にくぐらせる。
あっ、と彼女が叫んだような気がした。が、私は躊躇しなかった。
最後の日ぐらい何をしても許されるという思いがあったのかも知れない。
手を一気に股間まで進めて下腹部をまさぐろうとした。
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夢枕に立ったおさげ髪。其の三

~淫猥な思い出~
夢枕に・・・05
実はたった一度だけ、私は過去に「里帰り」をこころみたことがる。
アルバイトしながら東京で暮らし始めて一年ほど経った頃だった。
望郷の念に苛まれていた。康子が恋しかった。そして、いても立ってもいられず、
上野駅から青森行きの夜行列車に飛び乗ったのである。

その時の出来事を反芻(はんすう)しながら、六十八歳の私は夜汽車に揺られていた。
羽田から飛行機に乗れば生まれ故郷までは半日で行けるだが、敢えて列車を選んだ。
当時の私の道行きを反芻してみたかったからである。
老妻には「高校の同窓会があるので久し振りに故郷の地を踏んでみたい」
と偽って帰郷の許しを得た。

上野駅から唯一の青森行き寝台特急列車に成ってしまった「あけぼの」に乗り、
ひたすら北上する。列車は日本海側ルートを約13時間掛けて青森駅に到着した。
かつてはここが本州での終着駅だった。青函トンネルが完成してからは「終着駅」という
哀愁を帯びた言葉も死語に成ってしまったが。

今でこそ青函トンネルよって北海道と本州は「陸続き」に成ってしまったが、
当時は青函連絡船に乗船すること自体が、いわば踏絵だった。
志を抱いて内地に渡ったものの、夢破れてUターンしてしまった者も少なくなかったろう。
そんな道産子にとって津軽海峡は唯一最大の関所だったのである。

青森駅に降り立った私は、かって里帰りを試みた時と同じ迷いを感じていた。
海峡を渡るべきか引き返すべきか・・・と。
「康子に会いたい。けど、今さら会える立場なのか?」と。

そうだ。あの時も、青森港で出航を待っている連絡船洋諦丸を前にして、
随分と迷ったものだった。乗船手続き用の小さな紙片に住所氏名を書いては何度も
破り捨て、結局、港と逆の方向に歩きだしていたのである。

あの時、待合室で知り合ったのが恵美と言う娘だった。集団就職で上京したものの
職場になじめず帰郷するのだという。私より二歳年下で痩せ形の愛らしい娘だった。
雑談を交わすうち親しく成っていた。

青森の街を肩を並べて歩き、やがて映画館の門をくぐっていた。
どっちが誘ったのかは良く覚えていない。何れにせよ、二人きりに成る場所と言えば
其れぐらいしか思い付かなかったのだ。
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夢枕に立ったおさげ髪。其の四

~乗らなかった連絡船~
夢枕に・・・08
ただ我武者羅に嘗め回し、弄り回した。蒸れた恥臭がムンムンと漂ってくる。
舌を動かすと二葉の柔らかな肉ビラがウネウネとよじれて纏わり付いてくる。
肉襞の合わせ目舌先で剃り上げると、しこったクリトリスがコリコリと弾けた。

「あふん、そこ、そこ・・・」
彼女が上ずった喘ぎを吐いて私の頭髪を掻き毟る。私の男根はズボンの中で
爆発しそうなほど勃起し、拠り所を求めて暴れ回っていた。

ズボンを下ろし、下穿きを膝のところまでずり下ろす。体を密着させ、
男根の先端で膣穴を探る。だが未熟者の悲しさで、
下から突き上げ様にも中々巧い具合に挿入出来ないのである。

私の未熟さを救って呉れたのは、意外にも彼女の方だった。
右往左往している私がじれったくなったのか、あるいは羞恥のためか、
いきなり私に背を向けて壁に突っ伏し、尻を突き出したのである。ほっそりした体型の
彼女だったが、白い尻は意外にもムチムチに肉付いていて私の欲情を誘った。

私は咄嗟にしゃがみ込むと、尻肉の割れ目を大きくはだけていた。
谷底に可憐なすぼまりが露出する。すぼまりは褐色に色素沈着し、
その周囲もレモン形に色素沈着していた。肛門を夢中で嘗め回す。
微かに排泄物の匂いは残っていたが、それはむしろ官能的で卑猥だった。

「だめ。そんなとこ舐めるなんて汚い」
「だっていやらしいだぞ、おまえの尻の穴」
「だめだってば。あは、いやん、いやーん」
恥らって尻を振る彼女に益々興奮させられた。しかも、視線を少し下にずらすと、
そこには半ば口を開けて赤い内容物をさらす女陰まで見えたのである。

再び立ち上がった私はバックからの挿入を試みた。意外にもスムーズにめり込んでいった。
包皮の付け根に微かな痛みが走ったが、構わずに侵入していく。
ぬめやかな温もりに包まれて、若い男根がさらに硬く怒張していく。

「むぅ。痛い、痛ーい」
彼女の顔が歪む。処女だったらしい。結合部を見下ろす。褐色の肛門がヒクつき、
抜き差しを繰り返す膣穴のとば口は、亀頭部に引きずられて富士山の形の様に
起伏していた。彼女がハァハァと喘いでいる。
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夢枕に立ったおさげ髪。其の五

~嘘と裏切りの人生~
夢枕に・・・11
「あんちゃん、今夜泊まる所、あんのかい?」
「イエ、別に決めていません」
「なら、ウチにとまればいっしょ」
連れて行かれたのは店の二階にある六畳間ほどの部屋だった。
裸電球に照らされた室内には家財道具らしきものは殆ど見当たらなかった。

「汚いとこだけど寝る位はできるっしょ。銭湯が近くにあるけど、
 オバちゃん一緒に行ってくるかい?」
「いえ・・・」
首を横に振った。長旅のせいで疲れ切っていたのである。
「そうかい。じゃ、オバちゃんもそうする」
枕を並べて布団に潜り込む。

夜中に下腹部に妙な感触を覚えて目が覚めた。灯りがこうこうと点いていた。
下穿きはすでに脱がされていて、彼女の太腿が私の太腿に絡み付き、
下腹部を弄られていた。

「あ、あの・・・どうして・・・」
「シッ、あんちゃんは黙って寝てればいい」
「で、でも・・・」
「あんちゃんはめんこいよ。オバちゃんが一杯可愛がってやるから」

オバちゃんがムッチリ肉付いた尻を私のほうに向けて男根にしゃぶりついてくる。
私は思わず彼女の下穿きをひきずり下ろしていた。

ムッチリ肉付いた尻の谷間を掻き分けて谷底に舌を滑らせる。
青森で恵美を抱いたさい身に付けたわたしなりのテクニックだった。

彼女の肛門には汗と排泄物の残り香が入り交じって強烈な匂いが有ったが、
それは彼女の生命力そのもののような気がして、むしろ官能的でさえあった。
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デキちゃつた家出婚。其の一

~夜這いの風習が残りし頃~
デキちゃった01
昭和37年首都東京はオリンピックを目前に控えた建設ブームとか。
しかし私達の住む青森の街は戦前と全く変わらぬ姿を其の侭残していた。

当時私は、まだ19歳になったばかりで、父親と一緒に林業をしていた。
一度山に入れば、小屋に寝泊りして木を切る仕事が何日も続く。
遊びたい盛りの若い男にとって女っ気のない生活は単調で苛酷だった。

山奥での生活から抜け出して都会へ行きたいと、何時も私は思っていた。
都会へ出て何をしたいと言う訳でもなく、熱病のような憧れだけであった。

父は私が山仕事に嫌気がさしているのを見抜いていたようだ。
そこで、嫁でも待たせれば少しは落ち着くかも知れない、と考えたのか、
突然、一人の女を家に連れて来たのである。

「これから祝言を上げる」
今でこそ馬鹿げた話だが、当時の田舎では父親が選んだ顔も知らない女と、
会った其の日に結婚する事は、少しも不思議なことではなかった。
むしろ恋愛で結婚する方が、ずっと少なかったのである。

「冗談でしょ」
恐らく今の若者なら、そう言って一笑にふすだろう。
しかし、当時の父親の威厳は山よりも高く、海よりも深いものだった。

戦後教育の荒廃が、だらしない父親像を作り出したと言う心算はない。
父が良かれと思って連れて来た女を、断れるほど私に度胸が無かったのも事実である。

そして、私は父に内緒で交際していた女が居た事も告白できずに、
少しばかりの金を持って、その夜のうちに家を出たのであった。

私は恋人の和代の家に行った。和代の家は町でも有数の資産家で、
広大な屋敷の中にどっしりとした瓦葺き屋根の家を構えていた。
もう家人は全て眠ってしまったのか、灯り一つ漏れていない。
私は何度も情を交わした、和代の部屋に忍び寄った。

雨戸をソッと押し開き、縁側に上がった。一番西端の部屋が、和代の部屋である。
息を殺しながら障子に近付いて「和代」と、小さな声で名前を呼ぶ。
すると、何度目かでようやく気づいたのか「入って」と小さな声が返ってきた。
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デキちゃつた家出婚。其の二

~函館の街で~
デキちゃった03
和代が私のペニスに触れたのは何度も交接していたが、その時が初めてだった。
常に私に体を委ねたまま、受け身に徹していた。だが、別れてしまえば、
暫くの間会う事が出来なくなると言う気持ちが、和代から節操を奪い、
いつになく積極的にさせたのだろう。

指の動きはじれったいほど歯痒かったが、和代に対する愛しさは数倍にも成って
こみ上げてきたのである。

私は浴衣を留めている腰紐を解いて、少年の様に締まった和代のお尻を
抱き寄せて、覆い被さっていった。そして右肘を布団の上に突いて体を支え、
左手でペニスを掴んでその先でオマンコを上下に撫でた。
その間、和代は太腿を開いて膝を立てたまま、頭を左右に激しく振って、
快感を必死に噛み殺そうとしていた。

掛け布団をスッポリと頭まで被っている。その中での性行為だから、
私達の熱気が籠って、蒸れるように熱い。全身を汗だらけにしながら、
私は静かに腰を合わせていった。

根元まで挿入して、和代の体を布団に釘付けにした。腰を煽りたいのを、
必死で我慢してオマンコの蠢きを感じていた。オマンコは既にトロトロに蕩け、
柔らかな粘膜が微妙にうねりながら、ペニスをジワジワと締めつけてくる。

清純な和代の顔に似合わぬ、淫蕩な動きで、意思とは関わりの無い、
淫らな生物が潜んでいるかのようだった。
私はゆっくりと静かに腰を引いた。ペニスに肉襞が絡みついてズルズルと
引き出されてくる。和代は右手の人差し指を噛んで背中を弓なりに反らし、
一方の手で私の背中に爪を立てた。

再びペニスを送り込んだ。ペニスがGスポットを擦り、恥骨同士が強く密着した。
そのままで腰をひねる、すると先端はコリッとした子宮口を抉った。
「ああーっ」
和代の喉から堪え切れず、小さな声が漏れて布団に吸い込まれた。
私は和代の体の上でゆっくりと、そして速く腰を刻み始めた。

私達はその夜、気が遠くなるほど何度もお互いの体を貪りあった。
布団の中には二人の汗の匂いと臭気が立ち込め、和代のお腹は
私の濃厚なザーメンでベトベトになっていたほどである。

私は夜明け近く、和代の家をソッと出た。
向かった先は、津軽海峡の向こうにある函館だった。
連絡船で四時間ほど掛かった。船に乗ったのは、この時が初めてだった。

連絡船が岸を離れるにしたがい、父に黙って家を出た事を後悔しながら、
先行きの無い不安と船酔いで地獄のような時間を過ごしたのである。
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デキちゃつた家出婚。其の三

~赤ちゃんがデキた~
デキちゃった05
その頃和代の身には大変な事が起きていた。私の子供を身篭ったのである。
当時、未婚の女が妊娠でもすれば、周囲の者からどれだけ白眼視されたか分からない。
まして資産家の娘がそうなれば、やっかみ半分で村八分にもされかねなかった。

生理が止まって妊娠を予感した時の、和代の心中は想像に余りある。
実際、後で知った事だが、病院に行って妊娠を確かめる事も出来ず、
まして人に相談する事も出来ず、自殺まで考えるほど思い悩んだそうだ。

しかし、和代の思いとは裏腹に妊娠は肉体的な特徴となって体に現われ始めた。
全体的に体が丸味を帯び、徐々にお腹がせり出してきた。そして肩で呼吸をする
ようになって、その事を初めて母親に指摘され家中が大騒ぎに成ったのだと言う。

父親は和代を烈火のごとく叱り付け、相手の名前を聞き出そうとした。
しかし、和代はガンとして口を割らなかったそうだ。
あの大人しい和代の何処に、そんな強い芯があったのか・・・
恐らくは体の中にもう一つの生命を得た事で、揺るぎない自信を持ったのだろう。
まさに、腹をくくった母は強しである。

和代が私を訪ねて函館に来たのは、それから間もなくの事だった。
和代のお腹を一目見た時の驚きと感動は、今でもはっきりと覚えている。

私は居間で昼寝をしていた老夫婦の所に駆け込み、和代と一緒に住めるように
事情を話した。すると老夫婦は、私と和代の顔を交互に見比べながら、

「オラたちにあんたら二人を反対する理由は、なーんも無ェ。
 そのかわり親御さんには落ち着いたら、必ず知らせておきなよ。
 親ってもんはいつでも子供のことを心配してるもんだから。
 まァ、じきにお前さんたちも人の親になるんだ。分からんでもないっしょ」

と、人の好い笑顔で、これまで通り部屋を使うことを許して呉れたのである。
その夜、私たちは老夫婦を交えて、和代のささやかな歓迎会を開いた。

実質的な私と和代の結婚式でもある。老夫婦が親代わりでもあり仲人代わりでもある。
結婚指輪も無く、列席者もいない真似事でも、私はこれ以上ない幸せを、
心の芯まで噛み締めていた。
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デキちゃつた家出婚。其の四

~夫婦になった実感~
デキちゃった07
どちらかからともなく、体を抱きしめて唇を重ね合わせた。次第に激しく吸い合い、
舌を絡ませる情熱的な接吻に変わった。和代の呼吸が切なそうに乱れ始めた。

浴衣の腰紐を解いた。青森では夏も冬も、浴衣の下には何も着けない人が多い。
本来なら素っ裸のまま布団に入った方が、冬でも暖かいのである。
それは子供の頃からの習慣ともなっていた。

浴衣の胸元をハラリ開いた。和代もまたその下は全裸だった。
だが、明かりの下で全裸になったのは、この時が最初である。
和代は腕で乳房を素早く隠すと、恥ずかしさに消えそうな声で
「明かりを消して」と訴えた。
「和代の全てを知りたい」

私の声は興奮でうわずっていた。和代の恥ずかしさなど考えてあげる余裕も無い。
見たいという欲望だけが、心の全てを支配していたのだ。

「あたしの体、赤ちゃんを身篭ってから、変わってしまったもの。
 やっぱり明かりを消してちょうだい」尋常な恥ずかしがりようではなかった。
しかし、私は其れを無視して、和代の腕を乳房からどかした。
すると、和代は諦めてしまったのか、両手の平で羞恥に紅潮した顔を隠したまま、
布団の上に体を仰臥させて、足をピッタリと閉じ合わせて真っ直ぐに伸ばした。

明かりの中で和代の体をまじまじと見たのはこの時が初めてのことだった。
身篭っているせいか、脂の乗った乳白色の肌は、透き通るほど艶めいていた。

乳房は以前よりも大きくなって、張りが有り、肌の下を走る血管を微かに浮き
上がらせていた。乳暈も乳首も色素を濃くし、幾分くすんだピンク色をしている。
腹部にいたっては、縦長だったヘソがまん丸になるほど変化していた。

そのお腹の中に、私と和代との子供が宿っていると思うと、それだけで喜びは
頂天に達した。私は和代のポコッと突き出たお腹をさすりながら、耳を押し当てた。

丸味を帯びたお腹は、硬くパンパンに張っていた。私は和代に添い寝して、
体を抱き寄せると、腹の稜線に沿って掌を滑らせながら、静かに下降させた。
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アヤメ草

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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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