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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

・利尻の淫乱女の半生。其の一

地下本『藻(くさ)の女』岩本テルの体験告白より。
◇プロローグ
利尻の女01-1
私はもう七十八に成ります。こんな婆さんが、こんなおかしな話をすると「色気違い」
では無いかと思うかも知れませんが、マァ直にあの世からお迎えのくる耄碌婆が、
戯れみたいに念仏でも唱えて居るのだと思って、笑って聞き流して下さい。

それに私は、近頃めっきり足腰が弱くなって、園(養老園)の皆が外へ
散歩に出掛けても一緒に行けず、目も悪くなってテレビも見えませんから、
音だけ聞くのではサッパリ面白くも有りません。
ですから自然と一人でジーっと部屋に座っていると、変なもので、
昔の事ばかりあれこれ考えてしまいます。

それも女の業とでも言うのでしょうか、こんな婆の癖に考える事が娘の頃の事や、
母親の事、そして亡くなった亭主との事や、よその男達との事た、つまり、
男と女の事ばかり想い出して、恥ずかしいけれど、
「ああ随分苦労も多かったけれど、女としてはいい思いも沢山してきたのだなアー」と、
若い頃が懐かしくて、その時のことをあれこれ想い出すのがひどく楽しくもなって来るのです。
やっぱり私は色気違いの婆さんなのかも知れません。

ところで、私の生まれたのは利尻島の沓形という所でした。今は観光客で賑やかに
成ったし、飛行機まで飛ぶようですから、随分変わったでしょうが、私の物心ついた頃は、
貧乏で寂しい漁師部落でした。
私はそこで尋常小学校を終わるまで祖母と一緒に暮らしていました。

私の両親は若い頃から、北海道の「番屋」をあちこち夫婦で渡り歩いて、
出稼ぎをしていました。そして母親の方は、子供を身ごもると、生まれる間際の
大きなお腹を抱えて島に戻って来て、お産をすませて、赤ん坊がオモ湯を飲める様になると、
後は祖母にまかせて、また父親の待っている番屋へ帰って行ったものでした。

私の下に弟が二人と妹が一人居りますが、其の三人もやっぱり私と同じように、
赤ん坊の時から祖母に育てられました。ですからたまに両親が揃って島に戻ってきて、
「テル子抱いてやっから来い」と呼ばれても、一番上の私でさえ、両親が見ず知らずの
他人みたいな気がして、母親の傍にさえ寄り付かなかったくらいです。

私は小学校を終えると、迎えに来た母親に連れられて島を出ました。
それっきり私は一度も島へ帰った事がありませんから、結局あの時が生まれ故郷の
島を見た最後ですし、一生の別れという事になるわけです。
それは今から六十五年前の、私が数え年十三の春でした。

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・利尻の淫乱女の半生。其の二

◇初めての番屋暮らし
利尻の女02-1
ところで、母親と父親の「夜なべ仕事」を話す前に、言い訳をしておく事が有ります。
というのは、たとえば両親の事でも、母親と若い衆との事でも、
それは私が散々男の味を憶えた一人前の女、しかも七十八の婆の思い出話ですから、
未だ十三かそこらの小娘が、男と女のする事をそんなに詳しく分かる訳が無い、
疑わないで聞いて欲しいという事です。

それに、町場や農家の子供達の事は知りませんが、漁師のガキどもは皆色事だけは
早くから物知りで、四つか五つになると、「へっぺ」(北海道の方言で性交)とか、
「ダンベ」(女性器)とか、「つるむ」とか、平気で口にしたものです。

昔の漁師は貧乏で、楽しみといえばそれくらいしかありませんから、
何処の家でも子沢山で、その上家が狭くて、寝る時は子供がよっぽど大きくなるまで
親子一緒の部屋に寝てましたから、当然ガキ共は物心つく前から両親の
「夜なべ仕事」を見聞きして、それでマセてしまうと言うわけです。

夏に成って海で泳ぐ時なぞは、チンポやダンベの回りに毛が生えるようになるまで、
みんな素っ裸で、よくお互いのものを見せ合ったり、
大人のするようにつるんでみたりしたものです。

あれは私が四年生の時だったと思います。二つ年上の男の子が、
「テルよ、ヘッペやらせろ」というので、誰も居ない岩の陰でやらせました。
男の子は私の大事な所を撫でたり突いたりしたが、そんなに簡単に嵌る訳が有りません。

男の子は腹を立てて、
「オラとこのおッ母ァなんか、こったらデッカイお父のうヘノコばズボズホと咥えるのに、
 おめえのァ嵌める穴もねえから片輪だ」というのです。

私はその子が好きだったので、悲しくなって泣いてしまいました。
そしてその晩、思い余って祖母に、「オラ片輪かどうか見てけれ」と言って昼間の事を話すと、
祖母は腹を抱えて笑い転げました。それでも、
「心配すんなテル、おめえもダンベの回りさ毛が生える様になれば、
 ちゃーんと嵌るようになるさ」と、慰めてくれ、私はやっと安心した事があります。

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・利尻の淫乱女の半生。其の三

◇一生の疑惑
利尻の女03-1
私が本当にびっくり仰天したのは、そんな母親の浅ましい姿を見ているうちに、
私も二人の弟も妹も、母親の腹から生まれたのは間違い無いにしても、
果たして肝心の父親の方は、みんな同じだろうかと言う疑いです。
つまり、採れた畠は一つでも、蒔かれた種は別々では無いかと言う事です。
この疑いは今でも解けませんし、
おそらく死ぬまで私の胸の内から消える事は無いと思います。

考えてみると、島へ戻った両親が次々と死んだ後、私は時々は無性に生まれ故郷の
島が恋しくなって泣いた事はありますが、不思議と肉親の弟達や妹に逢いたいと、
切ない気持ちに成った事は一度もありません。
薄情な女だと言われればそれまでですが、正直に言うとあの時の疑い心が根を張って、
「どうせ弟達や妹とは、半分は他人同士なのだから」という、
諦めともヤケクソともつかない気持が、私の心を冷たくして、
無理してまでも島へ帰ってみる気にさせなかったのだと思います。

あれは、私が両親と番屋暮らしを一緒にするようになって、
一月ぐらい経ったある晩のことでした。
私の父親は漁師には珍しく大酒を呑まない人で、
仕事も手抜きを知らない働き者でしたが、その代わり、
花札博打には目の無い人でした。何時も晩飯が済んでからも番屋に居残って、
若い衆達を相手に花札をして、夜中近くに成らなければ小屋に戻った事はないのに、
その晩はいやに早く、ぶらりと小屋へ戻って来ました。

私はその時母親に抱かれて寝ていました。十三になるまで離れ離れでしたから、
一緒に暮らすようになっても、私は母親にも馴染めずに、どうしても遠慮勝ちで
他人行儀でしたから、母親もそれを気にしていたのでしょう。
私の寝床は小屋の右奥の、番屋に近い壁際の方でしたが、寝る時に成ると、
「テルよ、おッ母ァの方さ来い」と言って、少しの間母親は私を抱いて寝てくれました。

私が母親の温かい大きなお乳の間へ顔を押し付けて、寝たふりをしていると、
戻って来た父親が、ひどく気兼ねした言い方で母親に話しかけました。

「なァー、トメ。頼み、あるんだけどなァー」
すると母親が、ムックリ起き上って、
「お父、また負けたンかい?」と言います。
「うーん・・・。今日ァさっぱしついてないでよォー。
 そんでなァー、またおめえの体ばちょっこし貸してけれや」
「誰に負けたのさ」
「うん、根室の利助だ」
根室の利助さんという人は三十前後の若い衆で、私と母親が風呂の水汲みなぞ
していると、黙って手伝ってくれたりする優しい人でした。

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・利尻の淫乱女の半生。其の四

◇父親の芝居
利尻の女04-1
間もなく誰かが小屋へ這入って来ました。プーンと煙草の匂いがして、
コンコンと煙管を上がり端に叩いて、吸い殻を土間に落としながら咳払いをしたので、
その声でやっぱり根室の利助さんだと分かりました。

利助さんは着物を脱いでいるようでしたが、私と重なっている母親の掛け布団が動いて、
利助さんは母親の寝床へ這入ったようでした。

「おッ母ァ、こっちさ向けよ」
利助さんは小声で言いました。
「ええよ、このまンまやってけれよ」
「このまンマ?ンだら尻からか?」
利助さんは後ろからだと、母親の口もお乳も吸えないので、不満そうでしたが、
それでも母親の尻の方からヘノコを突っ込んだのでしょう。
「ウーッ!」と母親が唸り声を上げました。
(ああ、とうとうやられたな・・・)と、私は思いました。

掛け布団が調子よく動き出して、利助さんは母親の尻を抱えて始めたようでした。
「一遍だど、一遍だど!」母親が念を押しました。
それっきり、父親とやる時はすぐにハァハァ言って悦がる母親が、
布団の端でも咥えて我慢しているのか声を出しません。
だんだん掛け布団の動きが大きくなりました。

「おッ母ァ悦くなったべ?隠したって駄目だ。
 おめえのダンベ火ついたみたいに熱くなって、ほら、こったらに汁だして・・・」
「悦くない、悦くない!」
母親が泣き声で口答えをしました。でもそれが精一杯の辛抱らしく、
ちょつとすると母親は息をきらせて、
「まだかアー利助さん。オラもう一遍気やって、また二遍目いきそうだ。
 なアー、早く、早くウー」とせがみ出しました。

本当に利助さんは長持ちでした。とうとう母親は自分の方から仰向けになったらしく、
「こっちのお乳もしゃぶってけれ、もっとオー」と言ったり、
「アーいく、またいくウー」と喚いたり、利助さんに突っ込まれるたびに、
「アーン、アーン」と唸る母親の悦がり声が、それからも七、十遍続いて、
「ウーン!」と利助さんも唸ってやっと気をやったようでした。

それから少しすると「一遍だど!」と言った癖に「今度ァ、オラば上にしてけれ」と、
二遍目を仕掛けたのは母親でした。
私は見たいのを我慢して、両手で股座を押さえ、両膝を腹の方へ曲げて
体を丸めるようにして寝ていましたが、つい股座の手が動いて、
頭の天辺まで痺れるようないい気持ちがして、(ああ、オラもやってもらいたい)と思って、
悦がり泣きしている母親が羨ましくなったものでした。

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・利尻の淫乱女の半生。其の五

◇母親の痴態
利尻の女05-1
花札博打に限らず、勝負事というものは相手のある事ですから何時も必ず勝つとは
神様でもない限り無理な事だと思います。父親がわざと花札博打に負けて、
母親をよその男に抱かせては自分の楽しんでいるのだと分かりましたが、
だからと言って何時も、父親の思う様に都合よく、事が運んで居た訳では無さそうでした。
なぜかと言うと、普段は大体半月置きとか一月置きぐらいに、母親は父親に頼まれて
若い衆に抱かれていましたが、時には五日置きとか十日置きとか、
あるいは四、五日続けざまに、毎晩若衆にやらせる事も有ります。

そんな時は、父親の方は芝居する気でわざと負けたのではなく、
本当に勝負に負けたからだと思います。
もっとも四日も五日も続いた時は、私も覚えていますがあれは特別でした。
たしか番屋が岬の先にあって、近くに漁師部落もなく、町へ女を買いに行くにも
船で行かなければちょつと無理だという、ひどく不便な所でしたから、二ヶ月も経つと、
番屋の若い衆は女の肌に飢えて、目をギラギラさせ、隙があれば母親の尻に触ったり、
お乳に触ったり、私にまで抱き付いて来る位でした。

そうして夜に成ると、父親と博打をして勝てば母親とつるめると知っていたからでしょか、
われ先にと争って父親に「こいこい」の博打を挑んだものでした。

父親も真剣でしたが勝負事には「ツキ」も有りますし、第一相手の若い衆達は
死に物狂いでしたから、その気迫に押し捲られたのでしょう。父親は負け続けました。
当然父親が負ければ母親は嫌でも若い衆に遣らせなければなりません。
その時の母親は可哀想でした。あれが本当に「オモチャ」にされると言う事なのでしょう・・・。

私は女の体の因果さも知らされました。好きでもない相手なのですから適当にあしらって
置けば良いのに、上にされたり下にされたり、果ては四つん這いにされたりして、
遣られる度に、母親は気を遣って、最後の晩なぞは腰が抜けたのか死んだ見たいでした。
お陰でその翌日は、自分の体が思うように成らないものですから、
母親は口喧しく何から何まで私をこき使って、私の方も死ぬ思いをさせられました。

それから、こんな事もありました。
その時の母親の相手は、相撲取りみたいな大男の若い衆でした。
やはり父親が博徒に負けたから、遣らせてやって呉と言うと母親は、
「あの男だらオラ困る」と嫌がりました。
「そんでもお父、あの男の道具ア、馬みてえだって話でねえか。
 そんなでっかいのでやられたら、オラ裂けてしまう」
そういえば仲間の若い衆達は、その男のことを陰では「馬の誰それ」と呼んでいました。
私は体が大きいからそういうのだとばかり思っていました。

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・利尻の淫乱女の半生。其の六

◇私の結婚(1)
利尻の女06-1
ところで、私がこんなに長々と母親の浅ましい話をしたのは、
母親を軽蔑しているからでは有りません。
第一そういう私自身が、母親と同じように、いいえ、母親よりもっとあ浅ましく
自堕落な暮らしをしてきたのですから、その私に母親をとやかく言う資格もありませんし、
またその気も私にはありません。つまり私が母親の浅ましい姿を語る事は、
それは私自身の浅ましさを白状していることなのです。

母親の話はまだまだきりがないほど沢山ありますが、正直に言うと、
母親の姿と私自身の浅ましい姿とが重なり合って、
今では区別も付かなくなったというのが本音なのです。

初潮が有ったと言っても、十四、五歳までの私は鶴のように痩せこけて、
色気の無い小娘でした。それが十六の頃から、自分でもビックリするぐらいの早さで、
女の体になっていきました。股座の大事な所もふっくらと盛り上がり、
いくらか他人よりは薄めですが柔らかい毛も生え揃いました。
お乳も母親に負けないほどに前へ突き出して、胴が細く、その分だけ腰周りが大きく、
一緒に風呂に這入ると、
「テルよ、おめえ急に大人になったなアー」と、母親も驚くほどでした。

きつと母親が、若い衆や父親とつるむのを見せ付けられて居る内に、
遅れていた体の方も色気づいて、一辺に成長したのだと思います。

自分でこんな事を言うのは変ですが、若い頃の私は母親に似て、肌が色白で餅肌で、
顔が卵形で目が切れ長で、口唇が厚ぽったくて少しめくれ加減で、
美人では有りませんが男好きのする可愛い女でした。ですから番屋の若い衆や
漁師部落の若い衆や、時には親方さんまで、「新鉢ば割らせてけれ」と追い回されて、
二、三度、危うく手籠めにされそうになったこともあります。
父親は心配して、寝る時もモンペを穿いて寝れと、よく言っていたものでした。

その私にも、十七の春に好きな人が出来ました。
あれは函館に行く途中に「森」という町がありますが、
その町に近い建網番屋に働いていた時でした。
相手は「佐渡の伝三」さんと言う若い衆で、
体は大きくありませんが背のすらりとした、無口で大人しい人で、
その日暮の渡り漁師とはとても見えない、町場風の若い衆でした。

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・利尻の淫乱女の半生。其の七

◇私の結婚(2)
利尻の女07-1(噴火湾から蝦夷駒ケ岳を望む)
それでも「顎別れ」といって、最後の晩はみんなで焼酎を買って、一晩飲み明かすと、
翌朝は各自に布団を背負って、出稼ぎ漁師達は家族の待つ自分の家へ、
渡り漁師達は釧路だとか根室だとか、場合によっては樺太の方までも、鱈釣り船や
缶詰工場へ「越年仕事」をするために、思い思いに番屋から散って行ったものでした。

私の両親も出稼ぎ漁師でしたから、本来なら「切り上げ」になると島へ帰る筈ですが、
島へ帰っても出面仕事が有る訳でもなし、結局は歩合金を食いつぶすだけでしたので、
毎年渡り漁師達に混じって「越年仕事」に出掛けていました。

私もその両親に連れられて、釧路の缶詰工場や、根室の魚の加工工場にも
働きに行った事があります。
そんな訳で、大抵の建網漁は十月になれば網を上げてしまうのですが、太平洋沿いの、
特に噴火湾の漁場では、冬の間も漁を続ける所が方々にありました。

日本海と違って冬でも割合と大時化が無い事と、それに親方の方からすれば、
翌春になって新しく網を入れるよりも、入れ放しにしておくと、
春に成っても補修だけで済むので、経費の点で得だったからです。
その代わり冬場の漁で水揚げもすくなく、若い衆も三人も居れば十分で、
森に近いその番屋もその口でした。

さて、父親がなぜその年に限ってその番屋に「居残り」をして越年しょうとしたのか
良く分かりませんが、「頼まれれば仕方ねえべ。まア骨休めに、たまに隠居仕事もええべ」
と言っていましたから、父親の働き振りを見込んで、
親方に船頭代わりを頼まれたからかもしれません。

父親の他に、二人残った若い衆の一人が伝三さんでした。是は後で聞いたのですが、
私の父親が「おめえも残れや」と誘ったのだそうです。

そういえば私達の仲が番屋の若い衆にも知れ渡り、父親から、
「テルさ、おめえあの男好きか?」
と聞かれたことがあります。私は赤くなって黙って居ますと、
「まア、あの男だら真面目そうだからええべ」
と、一人で納得していましたから、私の為に父親は伝三さんを誘って呉れたのでしょう。

その冬、両親が町の親方の所へ仕事の相談に出掛けて留守の間に、
私は伝三さんに新鉢を割らせました。最初は無我夢中でしたが、二度目は余裕が出て、
母親が若い衆とつるむ時の様子なぞ思い出して、私も腰使ったりして「オマンコ」という
ものの気持のいい事を知りました。

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・利尻の淫乱女の半生。其の八

◇運命の村
利尻の女08-1
釧路の缶詰工場へ行くという両親と別れた私と伝三さんは、
越年仕事をさがしに函館へ出ました。その頃は、
番屋で知り合った仲間達がお互いに出面仕事を世話したり、春先になると、
「どこそこの番屋は去年大漁だったそうだから、今年は行って見ないか」
と誘い合ったりしたものでした。

そんな仲間の世話で、私達は魚の加工工場で働く事になりました。
寝泊りする所は、工場の近くの雑貨屋の、二階の六畳間を間借りしました
私達はそこで、初めて二人っきりの新婚生活を始めました。
決して工場の仕事は楽ではないし貧乏でしたが、
今になれば一生忘れられない楽しい毎日でした。

私達は毎朝六時に工場に出て、夜は七時に部屋は帰ると晩飯をすませて、
よく銭湯へ出掛けました。番屋暮らしで魚の匂いには慣れている筈でしたが、
一日中鮮度の悪い魚の頭をもいだり腹を開いたりしていると、
体の中まで生臭い匂いがしみついて、気持がわるかったからです。

函館は北海道でも暖かい所ですが、その冬はよく吹雪きました。
そんな晩は、男湯から、「エヘン!」と伝三さんが合図をしてきて、
私も急いで上がると、二人で私の角巻にくるまって帰りました。

部屋まで帰る間に、手足が吹雪で冷え込んでしまいましたが、
寝床の中で抱き合うとすぐにポカポカしてきました。
もちろん、毎晩のように抱き合いました。

伝三さんのヘノコは父親の道具よりは細身でしたが、まずまず普通の大きさでした。
やり方も上手では有りませんでしたが、それは私の方が母親のやり方を見知って
いましたから、ああしてくれ、こうしてくれとねだって、そのうに伝三さんも巧者になりました。

年が明けると私達は函館から余市に出て、余市の近くの番屋で伝三さんは若い衆に、
私は母親の様に飯炊き女として働きました。そして、冬は余市から小樽へ出て、
やはり魚の加工工場で働いて越年すると、翌春は今度は、噴火湾の奥の、
M町に近い漁師村の番屋に雇われる事になりました。
この時も知り合いの仲間に誘われたからだと思います。 

その漁師村は、M港の西端の、岬と岬とに囲まれた入江の奥にあって、
人家はアイヌの家を加えて五十戸程もあったでしょうか。
割りあいとその頃としては大きな村でしたが、隣村までは磯伝いに半道(約2キロ)、
町へは夏場はもっぱら船便でしたが、時化てくる冬場は裏山伝いに、
獣道みたいな寂しい山道を三里(12キロ)近くも歩かなければ行けないと言う、
辺鄙で不便な村でした。

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・利尻の淫乱女の半生。其の九

◇女体開眼(1)
利尻の女09-1
何とか成ると親方は言いましたが、頼りにする伝三さんが病気で、ただ衣食するだけの
暮らしは段々と苦しくなっていきました。

其の年の漁場の歩合金は、伝三さんが夏頃からロクに働いていませんから、
切り上げになっても、他の若い衆よりずーっと少なく、それに私の飯炊き女の稼ぎを
加えてもたかが知れていました。それを私は、お医者さんの言葉通り、
美味しい物を食べさせて一日も早く伝三さんに元気に成って貰おうと、
肉でも果実でもなんでも、栄養になる物は惜しげもなく買って食べさせました。
それに布団も、それまでは一組で間に合っていたのですが、
病気といっても二人が一つの床に寝ていると、どうしてもその気になるので、
伝三さんの分を新調して別々に寝ることにしました。

その外、一軒家を持つといろいろとお金が掛かって、越年仕事もせずに贅沢をして
居食をするのですから、行き詰るのは当然だったのです。

年が明けて翌年の三月頃には、私の懐の中には伝三さんの薬代が残るだけで、
明日の米を買う金も無くなってしまいました。米がなくなっても私だけは、
出面仕事の手間賃代わりにもらった馬鈴薯でも食っていれば間に合いますが、
病人の伝三さんはそんな訳にはいきません。さんざん考えた揚句に私は、
親方のところのおッ母様に頼んで見ようと思いました。

村では女達のことを「どこそこの嬶」とか「おッ母ァ」とか呼び捨てにしていましすが、
親方のところの内儀さんだけは「おッ母様」と呼んでいました。

おッ母様はまだ五十すぎの、若い頃はさぞ美人だったろうと思える。
上品で優しそうな人でしたが、下の病気とかで鶴のように痩せこけていました。

おッ母様は私が事情を話すと、
「若いのにおめぇ、病気の亭主持って苦労するなァー」と言って、
早速台所から風呂敷に米を包んで持って来て呉れました。

私は有難くて涙が零れそうでした。でも、その親切もただではない事が直ぐに分かりました。
おッ母様はお茶を入れてくれながら、
「なアー、その代りと言っちゃ悪いが、オラも利尻のおッ母ァに一つ頼みがあるんだがなアー」
と言います。

「おめえも村の人からいろいろ聞いてるべが、うちの親方は女好きで、
 オラがこんな体で相手できねぇもんだから、今日で三日も町の妾のとこさ泊まってるんだ。
 どうだべ、おめえ一遍親方の相手してくれねえべか?」
私はびっくりするよりも情けなくなって、今度こそ涙が出て返事も出来ませんでした。

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・利尻の淫乱女の半生。其の十

◇女体開眼(2)
利尻の女10-1
私は「ああ、もうじきこのお乳もこのダンベも、親方に好きなように弄られるのだ」と思って、
ちょっと悲しく成りましたが、お医者さんから「夜なべ仕事は病気に悪い」と注意されて、
もう半年以上も伝三さんとつるんでいませんでしたから、それだけに親方に遣られると
思うと自然に体の奥が熱くなって、フケてくるのをどうしようもありませんでした。

風呂から上がって私は、もって来た長襦袢を着ました。

女の私はやっぱりこんな時でも自分を少しでも美しく見せたかったし、それで親方も
喜ばせてやりたかったのです。ちょうどおッ母様が顔を出して、私を親方の寝間へ
案内してくれました。親方は布団の上で、褌一つになって私を待っていました。

親方は、おッ母様が言うとおり、小憎らしいほど女の扱い方を心得ていました。
私を横抱きにすると口を吸ったりお乳をしゃぶったり、散々に焦らして、
とうとう私の方から「あそこを弄って!」と言わせてやっと股の中へ手を入れてきました。

弄るというよりも触る位して、時々サネをこすったり穴の中手荒に掻き回したりして、
私の気持を煽り立てるのです。間もなく私は自分から長襦袢を脱いで裸になると、
親方の褌までとって夢中で男のモノを握っていました。

親方のヘノコはやっぱり凄いものでした。
いつか母親が遣られた大男の道具ほどではありませんが、それでも全体が赤黒く淫水焼け
していて、先の方は大きな鈴のように丸く膨らみ、こんな大きなモノでズボズホ遣られたら、
どんな気持がするだろうと思うと、私の体は自然と悦がって震えてくるのでした。

「親方、オラ欲しい」堪らなくなって私はせがみました。ですが親方は、
「そったらな、焦るなよ」と、相変わらず落ち着いています。

そして私を横に寝かせると背中の方から抱いて、私の股座に後ろから大きなモノを挟ませると、
「どうだおッ母ァ、こったらモノ見た事ねえべ」と言って、枕の下に隠してあった極彩色の
枕絵を出して見せるのです。写真も沢山有りました。どれも目がくらむような悩ましい
物ばかりで、見ているだけでも私は気がいイキそうになりました。

「ああ、もうオラ我慢できない!なァ、嵌めてけれ早くゥ」
私は寝返ると親方に武者振りつきました。ようやく親方もその気になって私の腹の上へ
のしかかって来ました。精一杯私は股を拡げて受けようとしたのですが、親方の雁首を
咥えるだけでも一苦労で、やっと根元まで納めると、私は思わず唸り声を上げました。

私にとっては本当に、半年振りに味わう火柱みたいな男のヘノコでした。
そしてそれは初めは少し柔らかくて物足りない気もしましたが、自分から腰を使って
抜き差ししていると急に芯でも入った様に硬くなり、グイグイと膨らんでくるのです。

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・利尻の淫乱女の半生。其の十一

◇精液にまみれて(1)
利尻の女11-1
私と親方の事は、じきに村中に知れ渡ってしまいました。
てすが、だからと言って村の人は、私を軽蔑したり辛く当ったりはしませんでした。
むしろ、私が親方の相手をしてくれるので、お父達は自分の女房や娘が親方の
手籠めに遭わなくてすむと、安心していたようでした。

間もなく私は「若い衆の面倒も見てくれないか」と親方から相談を受けました。
なんでも前には三十後家が若い衆の相手をしていたそうですか、
急病で亡くなり困って居ると言う事でした。

私の生まれた島の部落もそうでしたが、この村も色事の盛んな村でした。
夜這いとか間男は常習で、お父やおッ母ァの取り替っこするのも平気でした。

ただ嫁取り前の若い衆には困っていたようです。どこの家でも長男は二十歳に
成るか成らない内に嫁を持たせていましたが、二男三男となると、
貧乏漁師では草々簡単に分家させる事も出来ません。その二男三男の若い衆達は、。
町へ女を買いに行く小遣い銭もままなりませんから、自然と精力を持て余し、
年頃の娘に悪戯をしたり兄嫁にチョッカイをかけたりして、
しょつちゅうゴタゴタを起こしていました。

そんなことから手頃の後家を若い衆にあてがうと言うのが、
この村のしきたりだったようでした。誰が考えたのか知りませんが、
中々考えた利巧な遣り方だったと思います。

「若い衆の相手せば、カマドの方もずーっと楽になるし、
 おめえも出面なんかしねえでゆっくり亭主の世話が出来るど」
親方はそう言って勧めます。私はまた母親の事を思い出して、もうこうなったら、
一人を相手にするのも五人を相手にするのも同じだ。
それに、こそこそと母親のように人目を憚って若い衆の相手をするよりも、
大っぴらにする方がさっぱりするとも思いました。
しかし、親方に抱かれるのは内緒に出来ますが、若い衆達に抱かれるとなったら、
伝三さんに隠して置けないと考え、私は返事を控えました。

伝三さんに打ち明けて相談すると、伝三さんは半日布団を覆って寝ていましたが、
夕方寝床から起き出してきて「俺がこんな病気をするからお前にばかり苦労をかける」
と詫びを言いました。
布団を覆って口惜し泣きをしていたのか赤い目をして・・・、
私は切なくなって伝三さんにしがみついて泣きました。
この時ばかりは私も、女に生まれた自分が悲しいと怨みました。

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・利尻の淫乱女の半生。其の十二

◇精液にまみれて(2)
利尻の女12-1
いつも寝る時は丸裸でしたが、私は真っ赤な腰巻だけはつけました。
それがせめてもでんぞうさんへの言い訳の心算だったのです。若い衆は寝床に這入ると、
私を伝三さんの方へ横向きにして尻をだきながら、
「こうせばおッ母ァも幾らか気が楽だべ」と、そんな優しい事を言って呉れました。
夕べの若い衆と違って年高だけに、つるみ方も落ち着いているし、
道具も一人前のものでした。それでそろそろと尻から突かれていると、
私の体の方はじきにその気になってきます。

「やっぱし、親方の言う通りおッ母ァの道具ァ巾着だ」若い衆は嬉しそうでした。
私のものは汐を吹いて、グチャグチャと音をたて始めました。
伝三さんの様子を見ると、布団の中から目だけを出して、、
ジーッと息をころして此方を覗いているようです。

私は声を出しては悪いと思って、口唇を噛んで堪えましたが、伝三さんに見られている
という事が却って刺激に成って、とうとう悦がり声を立ててしまいました。

「なァー、なァー、お乳も、お乳も吸ってけれェー・・・」
若い衆も堪らなくなったのか、私を仰向けにすると上から嵌め込んできました  。
「おッ母ァ、オラ、もう堪まンねえ!」
「オラも、オラも、なァやってけれ!もっとオー・・・」

私は狂いました。
伝三さんは、若い衆と一緒に気をやっていたら体がもたないと注意して呉れましたが、
私の体は堪え性がないのです。こんな所も淫乱な母親に似ていたのでしょう。

若い衆は朝までに四回楽しみましたが、私の方はその間に七つか八つ気を遣った様に
思います。それでも若かったのか、夜が明けると私はしゃーんとしていました。

それからの私は、月のモノがある間を除き、毎晩若い衆に抱かれました。
しまいに体の中まで男の汁で生臭く成ってしまうような毎晩でした。

一月が経ち二月が過ぎると伝三さんも諦めたというのか慣れたと言うのか、
もう布団の中からこっそりと覗くのではなく、布団の上へ起き上がって、
若い衆と私のつるむのを見ながら、
「お前は尻から遣られるのが好きだなァー」とか、
「もっと股を広げて、遣られてるところを俺にも見せろ」とが、
脇から私をからかったり、そそのかしたりするようにもなりました。

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・利尻の淫乱女の半生。其の十三

◇巨根の権太(1)
利尻の女13-1
産後の私が最初に遣らせたのは親方でした。親方は私の股を広げて、
さんざん指で弄り回した末におっ立ったモノを押し入れて、
「おめえの道具ァ、童(わらし)ば産んだら恐ろしく味がえくなった」
と驚いていました。なんでも穴の中のビラビラが増えて、
それが男のモノに絡みつき締めたり吸ったりすると言うのです。

そう言われれば、私の方も前とは随分違ったような気がしました。
例えば親方の太いモノを突っ込まれると、前は吸い込むように一気に奥まで
受け入れたのに、今度は急に穴の中が狭くなった様に、入口で妙に渋ります。
それを無理に押し込まれると、中の肉襞がすり潰されるようにヒリヒリ感じて、
つい悦がり声をあげたくなるのです。

親方はその時、また私が孕んで若い衆達に不自由させては困るといって、
サックを渡して呉れました。月経と月経の間五、六日が一番孕みやすいものだから、
その間だけ若い衆のモノに被せて遣らせろと言うのですが、その頃のサックは
今の物と違ってひどくぶ厚いもので、私は好きになれませんでした。

男も同じだと思いますが、女もやっぱりあの時は抜き身が最高で、それに気の行く時は、
ドクッ!ドクッ!と男の精液で子宮の奥を叩かれないと、本当につるんだ気がしません。
ですから私は、そんな余計な物を使うと何となく情が移らないような気がして、
若い衆と相談して、孕みそうな間は気のいく直前に私の体から抜いて、
外に出してもらうようにしてサックはなるべく使わない様にしました。

私が村の若い衆の相手をする様になってから、暮らしの方は随分楽になりました。
米味噌は村の雑貨屋から、親方の名義でいくらでも買えるし、
魚や野菜は持て余すほど村の人から付け届けがありますし、
その上、若い衆の「世話料」だと言って、毎月親方から十五円も現金で貰えたのですから、
伝三さんの薬代は勿論、たまには私の着物の一枚も買える位余裕がありました。

考えて見ると私の一生のうちで、あの頃ほど呑気に日を送ったことは、
後にも先にも二度とはなかったと思います。

毎晩の仕事も自然と慣れてきて、自分も上手に遊びながら、
若い衆を歓ばせる要領も覚えて、正直に言うと私は、今夜はあの若い衆と、
どんな格好でつるもうかと、それが楽しくて日の暮れるのが待ち遠しい位でした。

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・利尻の淫乱女の半生。其の十四

◇巨根の権太(2)
利尻の女14-1
「待ってけれ、権太。こったら長いモノ、オラ駄目だ、オラ破けてしまウー・・・」
私は悲鳴を上げました。すると権太も自分のモノが尋常でないと承知していたのでしょう、
私を裏返しにして這わせると、今度は尻を抱えて本当に犬のようにつるんで来ました。

この格好で遣ると、親方モノでも奥までは届きませんので、
私は少し物足りない思いをするのですが、権太のモノは違います。
息苦しいくらいにスッポリト子宮の奥まで嵌って、それをそろそろと抜き差しされると、
胃袋の中までズボッ!ズボッ!と突き立てられるようです。
私は一突きされるごとに体が溶けていくよう様ないい気持ちで、
思わず悦がり声を上げていました。

「ああ、悦え、悦え。オラもう気がいくッー・・・。なァー、なァー、一緒に、一緒に・・・」
すると権太は、もっと私を歓ばせようと思ったのでしょう。片手を私の前へ伸ばして、
親方がいつもするように私のサネを弄り始めたのです。

私は目まいがして、気が狂いそうでした。
「止めれッ、そこば弄ったら駄目だ!オラ、死んでしまウーッ!」
そんな事を言っても、ここまで来たら男が許して呉れる筈が有りません。
今にも火が出るようにサネを擦られながら、大腰を使われると、
私はじきに気を遣ってしまいました。一度気を遣ると後は堪え性もなくイキっ放しで、
「殺してけれ!殺してけれ!」
と喚きながら、私はしまいに何がなんだか分からなくなってしまいました。

それでも、権太が気をやった時の事は覚えています。
急に権太が大人しくなったと思うと、私の子宮の中にまで嵌っている権太のヘノコの先が
ムクムクと膨れて、熱湯みたいに熱いものをドクッ!ドクッ!と弾き出して、
「ああ、孕む!」と私は思いました。しかもそれが一度ではないのです。
ああ、やっと終わったと安心していると、しばらくするとまたヘノコの先がピクッピクッと動いて、
思い出したようにドクッ!ドクッ!と子種を吐き出すのです。

おッ母ァ達の、権太とやれば抜けなくなると言うのは嘘でしたが、
何遍も気をやるというのは本当でした。そんなことが五、六遍も繰り返されて、
私はこれなら間違いなく孕まされたと観念しました。
それほど気持が快かったという事も有るでしょうが、その日がちょうど、親方の言う
私の孕みやすい日に当っていたと言う事も、私にそう思い込ませたのでしょう・・・。

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・マコ18歳と40男の私。其の一

私が生涯に出会った女性の中でマコちゃんほど痛快な女の子は居なかった。
あの自由奔放な生き方、30年近く経った今でも鮮やかに思い出す。
これは私とマコちゃんの楽しかった頃の記録である。


◇ギャラの外に(1)
olga-kurylenko-2a.jpg
「ネエ、ここは休憩あるの」
『ああ、勿論。休憩はあるよ』
「じゃあ、休憩の時、私とセックスしない?」
『キミ、何を言ってるんだ、いきなり』
「アラ、気に障ったらゴメンナサイ」
『いゃァ、気に障った訳じゃないけど、仕事中に急に
 そんなこと言われちゃビックリするよ』
「だって女ってみんなセックスがしたいんだよ。
 あんた女の気持ちを知らないの」
『今迄キミのようにハッキリ言った子は一人も居なかったよ』
「フーン、皆、気取ってるんだよ。本心ではしたくても、
 体裁ぶってハッキリ言わないだけだよ」
『そういうものか。女の子の気持ちって』
「そうさ、男のあんたには何も知らないんだよ。でもあたしは違うんだ。
 心の中で思って居る事はドンドン言うタチなんだ」

このヘンテコなやりとりは撮影のモデルとして私のスタジオにやって来た
18歳の女の子との間に交わされた会話である。

当時私の本業は堅い電気制御の技術屋であったが、
趣味の写真が高じてDP機材やスタジオも手に入れて4年目。
モデルも百人以上写していた。

そしてこの日、プロダクションの親父さんに連れられて来たのが
グラマーで顔つきは並だが、オッパイはムチムチだった。

彼女はマンションの一室に作られた私のスタジオに入ると、
セミダブルのベッドやドレッサーなどと一緒に、
照明器材等が置かれてある室内をもの珍しそうに見ていたが、
急にニヤニヤ笑った。私は一寸薄気味悪い感じさえした。

連れて来た親父さんによると、この子が仕事をするのは今日が
初めてだということで、名前は未だ決まっていないという。
そこで本人は大塚から来たと言うので、その下によくある名前
「マコ」をつけてモデル「大塚マコ」が誕生した。

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・マコ18歳と40男の私。其の二

◇ギャラの外に(2)
018.jpg
暫くの間、右手で両方の乳房を代わる代わる撫で続けていたが、
やがて次第に下に移動して臍の辺りも通過して、薄めのヘアに触ると、
まずクリトリスにそっと触れて見る。

「あーっ、いやだよ、そこはー、あーっ」
大陰唇と小陰唇を愛撫すると、早くも辺りはヌラヌラと濡れている。
私は彼女の両脚を一段と大きく開かせ、ワレメの下の方に、
人差し指と中指を合わせて入れてゆくと膣口はまだ余り使用していないらしく
意外にも狭いのである。

膣の中に人差し指だけを入れて、
暫く掻き回すと、中は一層ヌラヌラになっている。私は指を引き抜くと、
そこで初めて怒張した一物を挿入しようと、その先端をあてがった。

『一寸痛いかもしれないよ』
と歯医者のような事を言いながら静かに押して行くと、
まず亀頭だけ入った感じで、その先がきつくて簡単に入らない。
それではと、一寸後退させて、今度は少々強引に前進させると、
きつい関門を通過するように徐々に入ってゆく、
これはなかなか良いオマンコだ。これが私の実感だった。

彼女がいくら遊んでいる、と言っても所詮一八歳の女の子だった。
肉体は新鮮そのもので膣内は全然キッイのである。
そのキッイ中を押し分けて徐々に入ってゆくと、
一物がキューッと締め付けられ、この上もない良い気持であった。

彼女は初めの頃は大きな声を出して喘いでいたが、
この頃になると不思議に静かになって息をひそめているのは、
自分の体内に徐々に押し込まれてくる男のモノを深くじっくり
味わおうとしているのだろう。

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・マコ18歳と40男の私。其の三

◇一晩に五回も(1)
keiko17.jpg
マコちゃんが次に現われたのは、それから五日程経過した夜の九時過ぎだった。
「今日は仕事の帰りなんだ。今夜は泊って行くからね」
と一方的に宣言すると浴室にさっさと入って行った。
中でシャワーを浴びているのだろう。オマンコも丁寧に洗っているのだろうか。

私の想像はそんなことばかりで、早くもこれから行われるセックスを楽しみにしていると、
浴室のドアが勢いよく開き、彼女がオールヌードのまま飛び出してきて、背中を向け、
「拭いてよ」と言う。私は、
『よしよし』と乾いたバスタオルで濡れた背中や腋の下などを拭いているうちに、
肩の下十五センチほどの箇所の両腕が横に細く二本ほど充血したり
皮膚が破れて薄く血が滲んでいるのを見つけた。

『これはどうしたんだ』
「何よ、どこよ」
『ここだよ、痛くはないのかい』
「そういえば一寸ヒリヒリするよ」
『縛られたのかい?ひどいもんだナ』
「そうよ、今日の撮影は始めから縛られ通しだったのよ」

彼女の気儘な性格では、縛らせて数時間も拘束される仕事は
堪えられないだろうと思って居ると、案の定、
「あたしはもうこの仕事を辞めたいよ」と言った。
『何だ、まだ始めたばかりだというのに』
「だって、毛も剃られちゃったんだ。少し残して置いてくれたけどね」
『いや、それは仕方がないよ。何だカンだ言ってるよりも、
 毛は剃っちゃった方が写すのに楽なんだよ』

背中を拭き終わると、バスタオルを受け取って胸と腰に巻きつける。
「ここへ来ると何となく気が落ち着くよ」
彼女はベッドの上掛けを勢いよくはねのけると、全裸の儘伸び伸びと横たわって、
「ああ気持ちが良いわ。柔らかいし、フワフワしていて、ああー良い気持ちだ」

とセミダブルベッドのクッションが気に入っているらしい。私もパンツ一枚になって、
彼女の傍に横になるとすぐに抱き寄せた。湯上りの肌はとても気持ちが良い。
早速張り切った乳房を優しく揉み始める。
それだけで彼女は気分を出して呻き声を上げる。

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・マコ18歳と40男の私。其の四

◇一晩に五回も(2)
居直り5-1
それは私の方にとっても決して悪い感じではなかったので、
自由にさせていると、彼女は飽きる事もなく根気よくそれを続けている。
勿論、私の方も彼女の乳房を撫でたりそっと吸ったりする。

それが三、四十分も続けられると、
私の一物は何とか回復の萌しが見えて来た。

すると彼女は私の上に跨ると、未だ充分に勃起していないものを握り立て、
自分から膣口を近づけて、嵌めようとした。そして腰を動かし始めたけれど、
うまく入らない。再び握り、やり直しをしていたが、
どうしても私の方が不十分なので、入口でまごついている感じだった。
すると彼女が強く腰を落とした。ツルッと先端だけ滑るように入った。

オマンコの中に入ると、私の一物は急速にふくらんでくる。
私は仰向けになったまま、体を動かさず薄目をあけ、
下から彼女の顔を眺めていると如何にも満足そうに笑みを浮かべ、
ゆっくりと舟を漕いでいる。

一回目が終わってから未だ四十分ほどしか経過していないので、
私の方は若い頃と違って一向に性感が高まって来ない。
こうして現実に性交はしていても、どうしても射精に至りそうもないのは
苛立たしかった。しかし彼女の方は、ひとりで声をあげ、腰をくねらせ、
上下させたりして楽しんでいる。

この調子ではキリがないと、私は頃合いをみて、両手で彼女の腰を持って
揺さぶりながら下から一物を激しく突き上げると、これが刺激になったのか、
彼女は、「イクーッ」と声を上げ、私の上に倒れ込んで来た。
完全にいったらしく、一回目の不充分だったらしいのが、
これで漸く満足満足を得た感じだった。

それからどれほどの時間が経過したのだろう。夜中の二時ごろだったか。
眠っていると、何となく先端が良い感触なので目が覚めると、
何時の間にかパンッがずり下ろされ、私の一物を彼女が咥えている。
この子はよっぽど好きなんだな。私の一物は徐々に回復して、
数分後は充分に応戦出来る態勢になって来た。

しかし飽くまでも寝たふりをしてすべて彼女の自由に任せておこうという
ハラでいると、一物が完全な状態になったと見たのか、
今度は如何にも愛おしそうに頬ずりしている。

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渡世で出会った女三人。其の一

◇レイプ寸前の美女◇
渡世で出会った女1-1
昭和39年は、いろんな事があった。まず東京オリンピックだ。
オリンピックが日本で開催されるのが、初めてと言う事も有って、日本中が五輪一色。
終わってみれば金が16、銀が5、銅が8とメダルラッシュであった。

最高に盛り上がったのは、“東洋の魔女”と言われた日本の女子バレーが、
宿敵ソ連を倒したときだった。ソ連と言う国が如何しても好きに成れなかった事もあって、
この時が一番嬉しかった。

オヤジがシベリアに抑留されて苦労したんだろう、痛ましいオヤジの死に様を思い出すにつけ、
ロシアが益々嫌いに成った。
オリンピックの影に隠れてしまったが、競馬のシンザンがセントライト以来、
二十三年振りに三冠王を達成したのも、この年だった。

競馬は損してばかりだけど、この年だけは儲かった。
深山なのか神山なのか知らないけど、シンザンという名前が気に入って、
皐月賞、ダービー、菊花賞は、全部シンザンの単勝を買ったのだ。

今でも覚えている、
皐月賞がニ百七十円、ダービーが二百十円、菊花賞が二百二十円だった。
まだガキだったから、たいして買ってはいなかったけど、それでも彼是十万円は儲かった。
地下鉄の初乗りが二十五円の時代だから、当分豪気に遊べた。

殆どの人は忘れただろうけど、この年東京の渇水はひどかった。
夏の盛りだったとおもうけど、一日十五時間も断水したことがあった。
バケツ一杯の水が二百円で飛ぶように売れた。

仲間のトラックを総動員して、利根川の奥からトンボ帰りで水を運んだ。
売れるのは売れたけど、儲けは大した事なかった。

“東京砂漠”という言葉が聞かれない日は無かった位、この年の日照りはひどかった。
前川清の『東京砂漠』と言う歌が流行ったのはだいぶ後だったけど、
題名を聞いただけで、当時のことが思い出された。
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渡世で出会った女三人。其のニ

◇テキヤの世界◇
渡世で出会った女2-1
一月ばかり経ったある日、別の町に移動する汽車の中で、
オジキがオレに用があるという。呼び出されて、別のハコ(車両)に行くと、
オジキと親分とが並んでいた。その前に一人の女が俯いて座っていた。

「オマエ、このお嬢さんに見覚えあるか」
見覚えがあるもないも、あの時の女なのだ。
「ヘィ・・・」
女はさすがに表情は固かったけど、それでもしっかりとした目でオレを睨んだ。
オレはビビッた。
驚いたことに女は宮司の娘、あの町の八幡様の宮司の一人娘だと言うじゃないか。
ますますビビッた。心底ヤバイと思った。

詳しい事は知らないが、オレが盃を貰った頃のテキヤの団体は、
“昭和神農実業組合”といった。オレたちの神様は、神農、つまり農業の神様、
広いいみでの作物の神様なのだ。今はそんなことはしなくなったけど、
昔は親分と子分の盃を交わす時は、神農の掛け物を飾った床の間の前に、
一家の者が方形に並んで執り行われたものだった。
そのとき親分の口から決まってカラスの例えが出たものだ。

神農は日本の神様ではなく、中国の神様だと聞かされたこともあるが、
いや神武天皇だとか天照天皇だとかいう人もいて、其の辺りはハッキリしない。

昔は縁日や市は、決まって神社や寺の境内にたった。
そんな事も有って、オレたちテキヤには八幡様であれ、天神様であれ、
神様は絶対的存在だった。
よりによって八幡様の宮司の娘に手を付けたのだから無事な訳が無い。

「オマエのどこが気に入ったのか、このお嬢さんは、
 オマエと一緒に成るとおっしゃるのだ・・・」
「・・・」
「オマエも身に覚えがあるだろう・・・」
身に覚えがあるどころか、おおありだ。
「取りあえずは、オレがお嬢さんを預かる事に成った。折を見て、祝言を挙げることにする」

まいった。親分の言葉は、親の言葉より重たいのがこの社会。
大きな臼が、空からドカンと落ちてきたようなものだった。
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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