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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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或る娼婦の思い出。其の一

◇不良少年◇
或る娼婦の思い出01
私が不良少年のレッテルを貼られたのは、中学二年の時、昭和33年の事であった。
売春防止法がついに施行された年のことで、この事が後に私の生活に深く
関わって来る事に成ろうとは、その時は、思ってもみなかった。

小学校時代も中学に入ってからも、小心者で大人しく目立たなかった私が、
突然、不良と呼ばれる事に成るには、それなりの理由はあった。
不運と言うしかないが、妹への誕生日のプレゼントを買う為に行ったデパートで、
警備員に追われて来た万引き犯の学生数人とぶつかり、転んでしまったのだ。

「やったろ」「やらない」の水掛論になったが、
私の足元に落ちていたパーカーの万年筆が動かぬ証拠として、私は、
児童相談所の保護室に入れられてしまうことになった。

窓には鉄格子があってドアには鍵があって、まるで監獄も同然だった。
そこに三日ばかり泊められた。威されたりすかされたりされて取り調べられ、
結局は証拠不十分、ネリカン(練馬鑑別所)行きはまぬがれ釈放されたものの、
三日ぶりに学校に行くとクラスメートの視線が全く変わっていた。

私をまるで泥棒を見るような目で見、誰もが口をきいて呉れなくなったのだ。
中には、露骨に、私に近づくと、
「鞄の中には気をつけましょう」
などと私に当て擦るように大声を張り上げる者までいた。

そんな私に親しく近づいて来たのが校内では鼻つまみ者の不良グループだった。
当時の不良と呼ばれる連中も、昨今の不良に比べれば可愛いもので、
わざと遅刻をし、校舎の裏で煙草の回しのみをしたり、
禁止されていたジャズ喫茶などに行くといった程度のものだった。

時折、気にいらない奴がいると呼び出して殴る程度の事はしたが、
相手を殴り殺してしまうほどのリンチを加えたことはない。
ま、いわば手加減というものは、子供の頃から、親兄弟あるいは先生のビンタを
常日頃から食らっていたのでおのずと知っていたのである。
しかし、我々は、探検と称して、夜の盛り場を何時もフラついていた。

 
或る娼婦の思い出02
そうこうするうちに一年はまたたく過ぎ、高校に何とか入学した。大して行く気も無かったが、
働くよりは学生のまま遊んでいる方が得だという気持ちも有ったからだ。
落ちこぼれの生徒を集めたような程度の低い学校だったが、
通学途中に遊び場の池袋や新宿で途中下車出来るのが気に入って、そこに決めた。

もちろん、無試験入学に近い学校だから、希望通りに入学でき、
毎日のように盛り場で終電近くまで遊んで帰った。
中学時代の不良仲間も私の他に二人同じ高校に通ったので、
一緒に途中下車して遊んでいたわけだが、この頃になると色気づいてもおり、
三人の足は自然と元赤線の有った辺りに向いていた。

「何で売春防止法なんて出来たんだろうな。学生割引で、安くオマンコできたのにょ」
三人の中でただ一人中一の時に七つ年上の兄貴に赤線に連れてって貰って
筆下ろしを済ませたと言う川崎は、そこに行くたびに残念そうに喚いた。

もちろん、金さえ払えば、その辺りには結構、昔の名残が残っていてアパートに
客を引き入れては売春している女たちがいた。
と同時に、ポン引きといって、そんな女たちの元に客を送り込んではリベートを取って
暮らしている男達もいれば、ヤリ手ババアといった女達もいた。

性欲の捌け口の無い私達三人は、そんな色模様を毎日見物しているうちに、
「ひとつポン引きに成って金を稼げば、オマンコ出来るじゃないか」
と言う名案に思い至ったのである。
だが、ポン引きを遣るには地回りに顔を繋がなければならないし、
ポン引き同士にも縄張りが有ると言う、闇の世界のルールの事は考えても見なかった。

それからは、ポン引きやヤリ手ババアの動向を三人つぶさに観察して、
売春婦マップを作ることにした。
要するに客を引いたポン引きの後を尾行してどのアパートのどの部屋に入るかを
チェックするわけだ。

私達は五十人にも及ぶ売春婦の居所をチェックできた。
本当に汚いアパートから、普通の民家、それからバー等と、
ポン引き達が客を連れて行く場所は多彩だった。
或る娼婦の思い出03
こうして売春婦の隠れ家をチェックした私達は、いよいよ商売を始める事にした。
三人つるんでいては仕方ないので、単独行動として、それぞれが思い思いの
場所に散って客を見つける事にした。私が選んだのは、今では西口公園として
整備されてしまった辺りのバラックが立ち並んだ飲み屋街だった。

一杯機嫌で店を出てくる客に、見よう見真似で、
「お客さん、いい娘がいますよ・・・絶対安心・・・千円ポッキリ・・・」
などと言って声を掛けて行った。

コインロッカーなど無い時代の事だから、私の姿は当然、詰襟の学生服だ。
「な、なんだ・・・お前・・・ポン引きか?学生服のポン引きとは珍しいな。
 面白い。行ってやろうじゃないか」
幸か不幸か最初の客が、いとも易々と私の誘いに乗ってくれた。

西口の飲み屋街からロマンス通りの方の売春街までは歩いて五、六分は掛かる。
「ホーヤ、若いのに苦労してんだな、父ちゃんが病気かなんかか?」
男は呂律の回らぬ口調であれこれと訊いてくる。
面倒だから、ええまあ、と曖昧に答えておいた。
そうこうするうち、目指す女の部屋の前に着いた。

そこは正しく売春アパートで六部屋あったが、どの部屋でも客を取っていた。
トントン、そのうちの一部屋のドアを私はノックした。
「誰れ・・・」
思いの他しゃがれた声がして、部屋の中で女が立って歩み寄ってくる気配がした。

当時のアパートのドアには菱形の小窓がありそこにガラスが嵌っていたが、
その部屋のガラスは外されて、カーテンで小窓を覆ってあった。
女はカーテンを除け、
「あんた誰よ?」
無愛想な声で訊いてきた。

「あの、お客さん、連れてきました」
そう返事をすると、
「あんた、見かけない顔だね、どこの組のエンコ(縁故)だい?」
「・・・」
「どこの組の者だって訊いてるんだよ、兄ちゃん」
女は声を荒げた。
  1. 年上の女
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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