現在の閲覧者数: 思い出される昭和のあの日あの頃
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万屋太郎は、帰って来た歌姫朱鷺あかりさんを応援しています!!

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朱鷺あかりさんは、
山形県尾花沢市出身で、1983年に歌手としてデビューされましたが
5年程で引退し、主婦業に専念されて居りましたが、
どうしても歌が諦めきれず、昨年に26年振りで
♪赤い月で再デビューをはたされました。

八代亜紀さんに似た風貌とハスキーな歌声に、
私はすっかりファンに成りました。

新曲
♪あきらめワルツ

♪赤い月

♪鬼灯(ほうずき)

♪粉雪の手紙

の4曲がYouTubeで聴く事ができます。

読者の皆様、有線放送リクエストを宜しくお願い致します。

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 読者の皆様へ 

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此方のブログは「アダルトサイト」です。
18歳未満の方は退出してください。


昭和の時代は今以上に人情味が溢れていた時代だったと思います。
時の流れが過去のドロドロした性愛関係も甘味な思い出に変えるのでしょうか。
異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

~昭和!それは遠い昔に成ってしまいました~
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~読者の皆様の作品を募集いたします~

読者様の体験談や創作でも結構です。
又読者様の“名前”入りの作品も書いて差し上げますので、
ご希望の方は簡単なプロフィールを
添えてメールにてご応募下さい。
ayamegusa_m@yahoo.co.jp

~このブログの目次です~

◇あの日あの時(8P)
◇本能の赴く儘に(7P)
◇デキちゃった家出婚(4P)
◇夢枕に立ったおさげ髪(5P)
◇乙女の心遣い(4P)

◇昔の臆病少女が今私の妻(4P)
◇未亡人の熱い肌(6P)
◇友人の母美千代姉さん(7P)
◇色あせたハンカチ(6P)
◇あの愛をもう一度(4P)

◇戦後を生きた姉と弟(10P)
◇吉祥寺に下宿していた頃(8P)
◇我が妻を語る(5P)
◇葬儀屋の女房(5P)

◇珠美の生涯(9P)
◇泥沼の中で掴んだ幸せ(3P)
◇下宿先の未亡人(6P)
◇生きることへの歓び(7P)
◇セックスレス夫婦の今と昔(7P)

◇略奪結婚(5P)
◇姉の千恵子と伯母の喜美代四十歳(5P)
◇柿田川慕情(6P)
◇買出しに来た都会の女(8P)
◇後藤の家に米を借りに行く母(4P)

◇或る娼婦の思い出(4P)
◇近親相姦の肉絆(6P)
◇赤い糸で結ばれていた70年(7P)
◇女遍歴の果てに辿り着いた処女妻(6P)
◇亭主奪還計画(6P)

◇快感を教えてくれた未亡人の陰裂(4P)
◇私の妻・由紀と義母との関係(4P)
◇海辺の小さな旅館を営む夫婦の今と昔(5P)
◇女の性と飢餓(5P)
◇下着泥の甥に美人伯母が筆下ろし(4P)

◇我が生涯最高の女「熱海芸者・七吉」(6P)
◇小説・指先の詩(うた)(20P)
◇近親との性愛(3P)
◇開拓耕地にそそり立つ楡(にれ)の木(4P)
◇消えた夫と支えてくれた男(6P)

◇若衆入りの儀式(15P)
◇惨めな初体験(5P)
◇若き日の少女の純愛(6P)
◇マゾ女の誘惑(5P)
◇14歳年下の女。シリーズⅢ(6P)

◇忘れ得ぬ二人の女(5P)
◇色ごのみ(8P)
◇家族愛ー私と母と妹と・・・(9P)
◇ぐうたら息子を改心させた母と妻の謀(5P)
◇暗い過去を背負った継母(6P)

◇老いて益々盛んに(6P)
◇ヒツジノエキス(6P)
◇姉妹との契り(6P)
◇田舎から来た若い叔母(4P)
◇残り物には福が有る(4P)

◇山の分教場の女先生(3P)
◇真実の愛(4P)
◇疎開先の粗末な小屋で(4P)
◇波乱の夫婦生活(6P)
◇高度成長時代の最中に(7P)

◇渡世で出会った女三人(6P)
◇夕暮れの作業小屋で(5P)
◇わが3P体験記(5P)
◇北行きの夜汽車で出会った女(6P)
◇両手に花の果報者(10P)

◇母娘(おやこ)丼の記(5P)
◇男の器とチンポのデカさ(6P)
◇マコ18歳と40男の私(4P)
◇利尻の淫乱女の半生(14P)
◇年上女の包容力(5P)

◇加筆・下宿先の未亡人とその娘(6P)
◇田舎から来た娘(6P)
◇29歳の処女妻(7P)
◇愛情一杯の茶封筒(4P)
◇戦後を生きた母と私と妹と(10P)

◇初夜で判った新妻の性的魅力(5P)





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 初夜で判った新妻の性的魅力。其の一 

投稿者 宮城県在住 結婚歴25年死別 無職 HN木元 典雄(76)
*注 本文の改行と、挿入写真等の選択は管理人が一任されております。

◇漁師に成りたい
ホッケの刺身
街は浮足立ったクリスマスの喧騒で、いつになく賑わっていた。
息子の信義に誘われて、久しぶりに私は居酒屋の縄暖簾をくぐってみたが、
行き場所を失った男たちが、何と多い事か・・・。
一塊、二塊と、サラリーマンたちが肩を寄せ合ってテーブルを囲んでいるかと思えば、
カウンターにだらしなく突っ伏して、酔い潰れている者もいる。

いずれも家庭でクリスマスを祝うことに、無縁な男たちなのだろう。
私達親子も、また、そうした一組だった。

信義は一昨年の春、嫁の和美と協議離婚した。子供が二人いたが、
二人とも自立していたから、全く問題なく偶に信義と連絡は取っているようだ。

私の妻の仁子は、信義の結婚も知らずに早逝している。嫌な咳をするなと、
私は気づいていた。しかし当時、私は船から降りたばかりで、
遊ぶことに夢中で放っておきっぱなしだった。もう少し早く病院に連れていけば、
助かったかもしれない。妻は洗面器一杯の吐血をして、入院してから一か月と持たずに、
末期の肺癌でこの世を去ったのである。

「親父、珍しい肴があるよ」
信義は黒板の品書きを目で示した。私は目を細めて黒板の文字を追った。
長年の不摂生で患った糖尿病のため、視力は極度に衰えていた。
「何がある?」
「ホッケの刺身だってさ・・・食べてみるかい」
「ホッケか・・・刺身で出せる店が、まだあったんだな。
 板さん、一つ造ってみてくれるかい」
「ヘイ、よろこんで!」

板前はポンと威勢よく手を叩くと、冷蔵庫から、山吹色をしたホッケを出して、
目の前の俎板の上に載せた。ホッケは、ほんの数時間前まで確かに生きていた。
そう確信できる立派な魚体だった。

「北海道から航空便で叔父に直送してもらったやつです。今朝、
 捕れたばかりなんで頬っぺたを落とさないようにして下さいよ」
「北海道は江差かい?」
「いえ、函館の近くにある、上磯という所です。ご存じすか?」
「行ったことはないが、そうか、まだ獲れているんだな」
「僅かですが・・・」

板前は捌いたホッケを、大皿に盛って私の目の前に置いた。
切り身は瑞々しい薄桃色をしている。口を酒で濯いで、一切れ頬張ってみた。
身に鮎魚女(あいなめ)ほどの締りはないが、口にジワリと甘みが広がり、
スッキリとした滋味が舌に絡みつく。長い事忘れていた、ホッケの旨さだった。

「親父どうだい?」
「旨い。お前も食ってみなッ」
「本当に旨そうに食うんだな。ホッケなんて猫跨ぎだって昔は言ってたくせに・・・」 
「そう思えるほど、いい時代だったんだ」
そう言うなり、もう一切れ、私は口に放り込んだ。

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 初夜で判った新妻の性的魅力。其の二 

◇酒と女が生きがいに
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大鼾をかいている者がいた。マッチを擦ってストーブに火を入れた。
炊き口の炎が男を照らし出した。男は本間だった。他の男達の姿は無かった。
酔い潰れてしまった私達を残したまま、夫々の家に帰ってしまったのだろう。
ひどく頭が痺れていた。

私は本間を漁師小屋に置いたまま、自宅に月明かりを頼りに帰った。
ストーブには石炭を目一杯入れて置いたから、おそらく朝までは燃え続けて、
本間が風邪をひくことはないだろうと思った。

翌朝、私はまだ暗いうちに港へ行った。頭はまだ重く痺れていたが、
気分は爽快だった。男たちは出漁の前の準備で、忙しく立ち働いていた。
その中には、本間もいる。口から白い息を吐きながら、
陣頭に立って小気味いいほどの指揮をとっていた。

「船頭さん、夕べは・・・」
と言いかけた私に、本間の怒声が返ってきた。
「今頃ノコノコと来やがって、お前の事は吉崎に全て任せてある。
 吉崎の指示に従え」
「・・・!?」
「何をグズグスしてる。オオーイ、吉崎」

本間は吉崎を呼びつけると、私と引き合わせた。
それは私が漁師に成った、瞬間だった。

吉崎は私より五つ年上で、乗組員の中では一番年若だった。
祖父の代からの漁師で、幾度となく死の淵を覗いたせいか、
目は異様なほどギラつき、無口で何を考えているのか判らない所が有った。

しかし、この生粋の若い漁師からは、学ぶことが多い。
その日から、吉崎の一挙手一投足を見つめ、
無口な彼から漁師としての腕を盗むことに腐心した。

漁師の朝は早い。三時には港に行って漁の準備をする。
漁場の奥尻島の沖合に着くころに、ようやく白々と夜が明けはじめる。
網を投入して、一時間ほど船を走らせる。
今の様に魚群探知機などはないから、鴎の鳥山を見つけるか、
船頭の経験に裏打ちされた勘が頼りだ。

二十トンほどの小船に十人の漁師が乗り込み、
船端から網をワッセイ、ワッセイと手繰り上げる。
仮に空網でもかなりの重量があって、大漁ともなれば腰を使って
引き上げるだが、全身の骨という骨が悲鳴を上げるほど重く、
寒風が吹き荒ぶ中でも、厚手の服を通して体から湯気が出た。

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 初夜で判った新妻の性的魅力。其の三 

◇初夜の緊張感
見合い結婚
娼家にいる女の中で、小雪だけは違った。
生きている生身の熱い女だった。娼婦に惚れることなど馬鹿げているが、
私は夢中で通い続けていた。

「また小雪の所か?そろそろ身を固めた方が良いんじゃねえか」
小雪に熱を上げている私に、船頭の本間は心配して真顔で忠告した。
「身を固める?オレはそんな心算はサラサラないですよ」
「小雪だけが女じゃあるまい。所詮、所帯を持つ女じゃない」
「百も承知。遊びですよ」
「なら、オレの出る幕じゃないが、お前を好いている女も居るらしいぞ」
「・・・オレを?」

聞く耳を持てない私は、本間の言葉を一笑にふした。
ところが、その数日後になって漁から戻って家に帰ると、
何時の間にか威儀を正してきたのか、紋付袴姿の本間に伴われて、
一人の女性が我が家に来て待って居た。

私の両親とは、すでに話がまとまって居たらしい。
互いが顔も知らず、両親が決めた相手と結婚するような乱暴な時代だ。
本人が知らぬ間に、見合い話が進んでいても不思議はない。
今の若者が聞いたら、あまりの馬鹿馬鹿しさに卒倒するだろう。
そうした時代でも、私は内心は卒倒する思いだった。

女性は後に私の妻となる仁子(としこ)だった。仁子は本間の姪に当たり、
東京の女子大を卒業して地元に戻り、小学校の教員をしていた。
本間の家に遊びに行った時に、消し炭のような色の黒い女がいて、
酌をしてくれた事を思い出した。健康的とは言え、全く色気を感じさせない。
その女が着物を着て、本間の大柄な背中に隠れ、畏まって居たのだ。
卒倒しないのが不思議だった。

典雄もそろそろ年貢の納め時だな」
普段酒をほとんど嗜むことのない父が、奥から酒瓶を持ってきた。
酒を飲めと言うのだ。私は言葉を失ったまま、それを受けることにした。


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 初夜で判った新妻の性的魅力。其の四 

◇仁子と呼んで!
珠美5.-2
私は仁子の背中を抱きしめたまま、浴衣の懐に右手をソッと滑り込ませた。
「・・・うっ」
仁子は小さく呻いて、驚いたようにピクリと体を震わせた。
痛々しいほどの恥じらいようだ。
私がこれまで相手にしてきた女とは、勝手が違う事に改めて戸惑った。

「心配しないで・・・オレに全てを任せて」
私は仁子の耳元に囁いた。仁子はコクリと小さく頷くと、
潤みを湛えた瞳で見つめてきた。澄みきった綺麗な眼差しをしていた。
「もう、平気です」
喉に絡みつく、かすかな声で、仁子は自分自身に言い聞かせるように呟いて、
二重の目蓋を閉じた。

そして懐の手をさらに深く潜り込ませた。布の感触が途切れ、肌に触れる。
湯上りの肌はシットリと潤い、優しい手触りを伝えてきた。
乳房の麓から徐々に、その膨らみを包み込んだ。乳房はたわわに実っている。
ゆっくりと揉み込むと、内側から手の平を弾き返してきた。

「ああーっ」仁子は深い溜息を吐くと、
私の手の動きに合わせて体をゆっくりとクネラセ始めた。
私は乳房に愛撫を加えながら、浴衣の腰紐を解いた。
胸元がしどけなく着崩れて、双つの乳房が露出した。

常夜灯の明りに照らされた乳房は仄かな乳白色にぬめり、
その谷間に影を刻んで豊かに盛り上がっている。
乳暈は小指の先ほどの乳首を囲んでいる。
愛撫を加えるごとに、乳首は固くなり、ピクンとせり出した。

仁子の息づかいは「ハァ、ハァ」荒くなり乱れはじめる。
額に浮いた汗が、頭を揺らす度にキラキラとオレンジ色に瞬いた。
唇が乾くのか、仁子は舌でチロチロと唇を舐めている。
私はその唇に口づけをした。舌先で唇の合わせ目を辿った。
すると、それまで閉じていた唇が、かすかに開いた。


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 初夜で判った新妻の性的魅力。其の五 

◇糸引く濃密な愛液
土佐の叔母さん7-1
私たちは、抱き合ったまま、唇を重ねた。
軽口で気持ちが少し楽になったのか、
仁子は私がしたように口の中に舌を入れて絡み付かせてきた。

肉棒はパンツの中で窮屈なほど、怒張した。私は寝巻を脱いで、
パンツだけに成った。仁子の浴衣も脱がせる。
その下には真っ白なズロースを穿いているだけだった。

薄らと汗の滲んだ乳房を揉みながら贅肉のない脇腹から
肉がしっかり付いた腰にかけて、ゆっくりと手を滑らせていった。
「あっ、ああ~ん」
仁子は細い声で切なそうに喘ぎ、背中を弓なりにピーンと反らした。
甘い石鹸のようだった女臭が、
何時の間にか山百合に似た深い匂いに変化していた。

私は仁子の体をすべて舐め尽くしたいと思った。だが、その一方で、
無垢な体には酷すぎる行為のような気がした。焦ることはない。
是からずっと、肌を合わせる事が出来るのだから、
徐々に慣らしていけばいいと、その欲望を抑え込んだ。

その代わり、乳房の谷間に顔を埋め、ズロースの中に手を忍ばせた。
その中は蒸れた様に熱く、
やわらかな飾り毛がふっくらとした土手を覆っていた。

指先を少しずつ進めた。コリッとした肉粒に行き当たった。
固くしこっている。指の腹で軽く転がす。
「あっ、ああ~ん」
仁子は火がついたように、体を捩らせはじめた。
オマンコは既に花蜜で濡れきっている。
しかし、まだ男を迎えた事のないソコは、蕾のように固いままだ。

入り口に沿って撫でながら、注意深くその中に指を差し入れた。
すると「ううっー」と、仁子は眉根を寄せて呻いた。


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 戦後を生きた母と私と妹と。其の一 

この物語はは私が官能小説を書き始めた初期の作品です。

◇母との性体験。其の一
母と妹01
母君代は二十歳で嫁に来て、二十一で私幸一を生みました。
其の二年後に弟が生まれましたが、三歳のときに流行り病で死んでしまい、
そして其の翌年に生まれたのが、妹の佐智子でした。
私の父は佐智子が生まれると直ぐ召集され戦死してしまいました。
残された家族は父方の祖父母と母、それに私と妹の五人家族でした。

私が高校を卒業し本格的に家業の農業を手伝うように成った。
昭和32年祖父が亡くなり、二年後には祖母も他界してしまいました。
私は二十歳に妹は十四歳に成っていました。
祖父母を無くし農作業は母と私だけとなり、二人は朝早くから夜遅くまで働きました。
妹も母を手伝って朝の食事や野良に持って行く弁当等を作ってから学校に行く、
と言うように皆が力を合わせて祖父母の残してくれた田畑を守って来たのです。

二十七歳で戦争未亡人に成った母の性欲処理は祖父が生きて居る時は祖父が、
そして祖父が死んだ後は私が21歳の時から母の相手をして遣っていました。
再婚もせず舅・姑に仕え、子供を育てている健気な女と、
世間では見て呉れて居たようですが、
生身の人間がそんな奇麗事だけで生きて行ける筈も無く、
決して明かされる事の無かった秘密を今日はお話し致しましょう。

母と祖父が女と男の関係に成って居た事は、私が小学五年生のときに気付きました。
其れまでは私も幼く、性に関する興味も無かったのですが、
夢精やオナニーを知る年頃とも成って来ると、
今まで何気なく見過ごしていた事も違った見方で見る様に成っていました。

其の一つが祖父の入浴の時、しばしば母が居なくなるのです。
当時我が家の風呂は母屋から離れたお蚕小屋の外表にあり、
所謂露天の五右衛門風呂だったのです。
「お風呂の湯加減を見て遣ってくるわ」と言って外に出る母に、
何の疑問も持たなかった私ですが、
偶々私が納戸も兼ねて居る蚕小屋に行った折に、
祖父と母のあられもない姿を見て仕舞ったのです。
浴槽の前に有る、すのこ板の上に仁王立ちに成っている、
祖父のペニスに母が喰らい付いて居たのです。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の二 

◇母との性体験。其のニ
02戦後を生きた母と妹と私
祖父母と母、そして私と妹、父親が居ない事を除けば、
極平和な仲の良い家族でしたが、祖父母が相次いで亡くなってからは、
ブレーキの壊れたクルマの様にとんでもない方向へ走り始めたのです。

其れは祖父の一回忌も済ませた夏の夜でした。祖父が亡くなって性欲の捌け口の
無くなった母はこの一年は喪に服す気持ちも有ってか、大人しくして居たのでしょうが、
喪も明けたのを気にマタゾロ女の煩悩が燃え上がって来た様なのです。

妹は夏休みを利用して女友達と湘南の海に泊りがけで遊びに行って居り、
家には祖母と母、そして私しか居なかったのです。
一日の畑仕事が終わり、汗だくに成っていた私は、
すぐさま裸に成って風呂場に向かいました。
その後の出来事は、前の章で書いた通りです。

結局風呂場で母のフェラチオンで二回も抜かれた私は爆睡出来るはずでした。
が何故か寝付かれません、蒸し暑さのせいだけでは無いようです。妹も居ない事だし、
若しかしたら母さんと“いい事が出来るのでは”と良からぬ思いを抱いて、
母の寝部屋へ行きました。
『母さん起きてる』と声を掛けると、
「おきてるよ」との返事、
『入って良いかい』
「いいわよ」との事で私は母の部屋に入って行きました。

母は浴衣を着て、鏡台の前で髪を梳かしていました。
『さっきは母さんに、一方的に気持ちよくしてもらったから、
 そのお礼に、伺いました』と冗談交じりに言うと、
「ははははぁ、私を気持ちよくさせてくれるかい」
『ご要望と有れば、お爺ちゃんが遣ってた事と同じ事
 遣らして頂きます』
「何言ってるの・・・」
『知ってんだよ、もう前から、母さんと爺ちゃんセックスして居たの・・・』
「バカ言わないでよ、お爺ちゃんのたっての頼みで、
 何度かチンポしゃぶって上げた事有るけど、
 オマンコはしたこと無いわよ・・ヘンな事言わないで」
『へえ、フェラチオンだけだったの』
「そうよ、私のオマンコに入れさせたチンポは、お父さんだけだよ」
『それじゃ、もう15年近く、本式なセックスしてないの』
「其の通りよ、私はそんなにふしだらな女じゃないわよ」

私は母を誤解していたようです。
今にして思えば、母が祖父のペニスを咥えて居る所を見たのは、
あの時の一度だけでしたし、普段は無断で外出する事も無かった母ですから、
案外身持ちの硬い真面目な女だったのです。

私はほっとするると共に当時付き合ってた女達が、二、三回デートしただけで
セックスをしたがる軽薄な女に思えて来たのでした。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の三 

◇母との性体験。其の三
03戦後を生きた母と妹と私
「あんっ、も、もういいでしょう」
私が余りにも真剣に食い入って見つめるんで、
母は恥ずかしさを募らせて居た堪れなくなったようだ。

私は母との約束の通り、
「舌と指とでのペッテイグとクンニでイカセル」行為に取り掛かった。
母の言葉を額面通りに信じれば、27歳から40歳の今日まで、
男の手に触れさせていない母の乳房は弛みは全く感じさせず、
農作業の為か肌は小麦色をして居るのに、
常にブラジャーで覆われている部分は、綺麗なピンク色をしていた。
乳輪の色は褐色色をして居る。
じっと見ていると乳輪の色と同じ色の乳首が小指の爪ほどに隆起し、
かすかに震えている。(あぁ~っ・・・きれいだっ!母さん・・・)

興奮で、すでに私の一物はカチンカチンの最高潮に達していたが、
母の中には入れられないのだ。
私はカーっと血が昇る感覚を覚え、頭が痺れてきた。
たまらず母の上にのしかかると両手で頭を抱き支え、
母のやわらかな唇に舌をねじ込み、むさぼり舐め、吸った。
わずかに母が舌をからめてくれたように感じた。
母とキスをしている・・そう思うだけで、
今まで経験したどんなセックスよりも興奮した。

口内の唾液を舌でからめ取るように、母のくちびるを激しく吸う。
長い長いキスをし今度は首筋に舌を這わせると、うなじを舐め、
耳たぶに舌を差し入れる。
肩口を咬み、二の腕からわきの下まで舐め回す、
そして私は舌先を母の褐色色の乳首に向けた。
右手で乳房をもみながら隆起した乳首に吸い付き、
丹念に丹念に舌で乳首を転がす。

「あぁ・・ぁぁ・・ん」
母は、小さなあえぎ声を出してくれた。
「あぁ、母さんっ!・・」
私はたまらず、浴衣を腕から抜き取り肩や腰を浮かせさせ、引き抜いた。
母は私の目の前で隠す物が一つ無い全裸に成ったのだ。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の四 

◇母との性体験。其の四
静江6-1
頬を赤く上気させ、
はぁはぁと肩で大きく息をしながらグッタリしている。
その反応はまるで、若い女の子と何ひとつ変わらないと思った。
そんな母が可愛く思え、私は母を抱きしめてると、息が整うのを待って唇をあわせた。
今度は母もしっかり舌をからめて私に応えてくれた。
私は右手で母の髪をさすりながら、ねっとりと長いディープキスを交わした。
行き場の無い、ペニスはカチコチにそそり立ったままだ。

「オチンチン苦しそうね」と一言うと。
母は掌を亀頭に乗せると、まあるくなぞりはじめました。
既に鈴口には先走りの汁が溜っていて、掌でなぞられネットリとした汁が、
亀頭に塗り広げられていった。
なぞりまわす掌の下から、ニチャニチャとした音がしていた。
ペニスは久し振りの感覚に欲情が高まり、
自然に腰がよじれて身悶ええしてしまった。
「幸一、気持ちよくなった様だね、
 我慢出来なくなったら 
 口の中に出しても良いのよ」
と言って私の顔を伺った。

『未だこれしきの事じゃ・・・
 もう一度母さんをイカセなくちゃ』
「あら未だ私をイカセテ呉れるの」
『今度は立位で遣ってやるからね』
と、言って私は起き上がり、母を立たせた。

私はしがみ込み、股間部分に鼻先を押し込み、その匂いを鼻腔いっぱいに吸い込む。
鼻先で秘部を思い切りグリグリと刺激する。
何とも言えない甘酸っぱい女の匂いを漂わせている。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の五 

◇佐知子の呟き。其の一
05a戦後を生きた母と妹と私
私、佐智子は昭和19年生で今年70歳に成ります。
兄は幸一私より6歳年上の76歳に成りました。
母の君代は12年前85歳で亡くなって居ります。

私は二十五歳の時五歳年上の主人と結婚しましたが、十五年目に離婚し、
子供三人が夫々に結婚・独立したのを機に実家で有る兄の元に戻り、
今は二人で百姓をしながら、兄とは実の兄妹では有りますが、
夜の営みも含めて「夫婦」の様な生活をしています。

私は子供の頃から、只一人の兄が大好きで、
何時も兄にくっ付いて居て離れませんでした。
母子家庭だった私達は、兄が父親の様な存在で何時も優しく、頼もし人です。
二十七歳で戦争未亡人と成って、六十年近く一人身で過ごした母の後ろには
何時も兄の存在がありました。兄は是までに結婚暦は無く、
常に母の身近に居て母を助け、農業を続けていました。

母が再婚もせず六十年近く一人身で過ごせたのも、
そして私が離婚後、子育ての責任を果たした後、此処へ戻って来たのも、
此処には優しく便りがいの有る兄が居たからです。
そして兄の逸物が、母や私の女の部分を夢中にさせ、
他の男の事を考えさせないだけの魅力が有ったからです。

私の子供の頃の記憶は、何時も兄と遊んで楽しかった事、兄の背中に背負われて、
二キロ離れたお店に買出しに行った事、八歳頃に成ると母の真似して、野良に出る
兄の為にお弁当を作り、夕方兄が帰って来ると、空っぽのお弁当箱を開けて、
「佐智子の作るお弁当、凄く美味しかったよ、
 大きくなったら素敵なお嫁さんに成れるね」
と言って呉れるのが、凄く嬉しくて、そんな時には、
「あたしお兄ちゃんの、お嫁さんに成って上げるね」等と言って居りました。

幼い子供が「お嫁さんに成りたい」と言うのは、何時も一緒に居たい、と言う意味でしょうが、
私が八歳位の時は、事実私も其の程度の考えしか有りませんでしたか。
私が十歳に成る頃には「お嫁に成る」とは、抱かれてセックスをする、と同義語でした。

其の頃には私の乳房も膨らみ始め、陰毛が生え始めてきました。耳に入る大人の会話も
セックスに関する話には、聞かぬ振りをして居ながらも、耳を欹て、
何時もアンテナを張り巡らせていました。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の六 

◇佐知子の呟き。其のニ
06a戦後を生きた母と妹と私
私はお風呂に入りながら、良からぬ事を考えてしまいました。
(今日は母も出掛けて居ない、こんなチャンス滅多に無い事だ、
 今日お兄ちゃんに、抱いてもらう、チャンスだ。お母さんだって遣ってるんだから)
私は兄が近くに居るのを知ってました、私は兄に聞こえるように、
「あたたた・・・いたい!。お兄ちゃん・・お腹がいたいよぅ」

兄は何事か、と言う顔をしてお風呂場に入ってきました。
『佐智子!どうしたんだい』
「急に右わき腹が痛くなったの・・・」
私はお臍の下の右わき腹を押さえて如何にも痛そうに蹲っていました。
『右わき腹て、もしかしたら盲腸かも』
『歩けるか』
「歩けないよぅ」
兄は裸のままの私を抱き上げて、私の部屋に連れて行き、
『今布団ひいてやるからな』
と言って押入れを開け、布団と寝間着を取り出し、私に寝間着を着せて、
『暫く寝てろ』と言って私を布団の上に横たえました。

『医者に行こうか、それとも往診頼もうか』
兄は真顔で私の事を心配して呉れて居ります。
此処で医者など呼ばれたら嘘がばれてしまうので、
怒られるのを覚悟で本当の事を言いました。
「お兄ちゃん、御免、お腹痛いのは嘘なの」
『なに!』
兄はポカンーとした表情で、暫く私を見ていましたが。
『本当に、痛くないのか、我慢して居るじゃないのか』
と尚も私の身体を心配してくれるのです。

本当に人の良い、優しいお兄ちゃんです。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の七 

◇佐知子の呟き。其の三
07a戦後を生きた母と妹と私
「あぁぁぁ・・・きもちいい・・・」
「もっと強く、強く吸って・・・」

『今日は安全日なのかい?』と兄は聞いてきました。
「前の生理からなら一週間過ぎた所よ」
『危険だね、コンドーム着けた方が良いね』
「生で遣って呉れないの、妊娠しても良いのに」
「バカ言ってんじゃ無いよ」
兄は私を放して、自分の部屋に戻りコンドームを持って来ました。
『おまえを妊娠させる訳には行かないから 
 今日は是を着けて遣ってやるからね』

嬉しい、今日は本当に兄によって女にしてもらえそうです。
兄は再び乳房に手を伸ばし両手で二つの乳房を激しく揉みました。
「あぁぁぁ・・・ひぃ・・・・いいわいい・・・・」
「ヤッパリお兄ちゃんジャ無ければ私は駄目よ・・・」
「いいい・・・・きもちいいい・・・」
「もっともっと強く揉んで・・・」
私の身体はのたうち、腰を上下に揺すってペニスを催促しました。
恥ずかしい気持ちなど全く有りませんでした。
母と兄がセックスしている現場を見てから、一年近く、
この日の来るのを待ち望んでいたのです。
兄によって私の身体を突きぬいて貰う日を待ち望んで居たのです。

兄は横たわった私の側に来て、添い寝をする様な恰好で横に成りました。
片方の手では乳房を揉みながら、もう一方の手は私のうなじ辺りを撫でます。
私はウットリとした表情で、兄の愛撫に酔いしれて居ました。

私は兄のペニスを握り緊め、母がして居たのを真似てペニスをしごき始めた。
兄のペニスは私の手の中で、ムクムクと大きくり固くなっていきます。
先端の部分からは「先走りの雫」が滲み出て来ました。
それを私は亀頭全体に塗りつけて遣ると、ペニスがピクピクッと反応しました。

「あぁぁ・・・・早くお兄ちゃんのオチンチンを咥えたい」
私の気持ちを正直に言いました。
『私が上に成って良い』と聞くと兄は「良いよ」と言って頷きました。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の八 

◇佐知子の呟き。其の四
06戦後を生きた母と妹と私
私は兄に抱かれ少女から女に変わりました。
其の日から私は兄以外の男性を受け入れられない女に成ってしまったのです。
中学・高校と進みましたが、同じ年頃の男性には全く興味が湧かず、
興味を感じる男性は皆兄と同じ位の五歳以上歳の離れた男性でした。

そして持ち込まれた見合い話に乗って、五歳年上の前の夫と結婚したのですが、
結局は巧くいかず十五年で、其の結婚生活に終止符を打ちました。

(私が結婚に失敗したのも、お兄ちゃんのせいよ、 何かに付けてお兄ちゃんと比較して、
 お兄ちゃんならこうだろうとか、こうして呉れるだろうとか)
何時も考えて居ました、夫はたまったものでは有りませんよね。
決して悪い人では無かったのに、セックスは淡白で自分だけ済んでしまえば、
サッサト横を向いて寝てしまう人でした。夫とのセックスで絶頂を感じた事は有りません。

そんな夫婦でも子供は三人授かりました。
夫は子供達へは普通の父親の様に愛情を注ぎ、真面目に働き、日常の生活には文句の
付け様も無い夫でした。併し女としての満足感や充実感は得られず私のストレスは溜るばかり。
そして有る日、とうとう「私の最初の男は兄だった」と口走ってしまいました。
そして其の日を境に夫婦生活は破綻し、離婚に至るまでたいして時間は掛かりませんでした。
結局主人は他の女と恋愛関係になり、慰謝料は無し、子供の養育費としての金は払うと言う事で、
三人の子供は私の手元に残し、離婚が成立しました。

そんな時にも兄は温かい援助の手を差し伸べて呉れました。
私達親子の住む家も「一山処分」して建ててくれました。そして米や野菜などの兄が作るものは、
不自由無く送り届けて呉れました。私も「保険の外務員」に成って頑張って働きました。
お陰で子供達には皆大学まで出して上げる事が出来、結婚し独立して行きました。
子供達には「年老いた母を兄だけに任せては置けない」と理由をつけて、長男に家を譲り、
私は兄の元に戻って来たのです。時に私は53歳、兄は59歳、母は80歳に成っていました。

14歳の初夏の頃男と女の関係に成った私と兄は、私が結婚するまでの10年の間、
世間と母の目を盗んで情交を重ねて居りました。兄は私が妊娠しない様常に気を使って呉れて、
時に私が「中に出して」と言っても情に流される事無く、コンドームを使い、或いは私の口の中に
放出するだけで、兄の精液で膣内を汚す事は有りませんでした。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の九 

◇妹佐智子。其の一
07戦後を生きた母と妹と私
出戻りの妹、佐智子と同居して五年目、母君代が85歳で亡くなりました。
母君代は私が最初に愛した女で七十過ぎまでセックスしていた相手です。
妹が出戻って来て、私とセックスする様に成っても、
母君代が生きてる間は、佐智子の中に射精する事無く、
ペッテイグとクンニだけで佐智子をイカセテ上げて居りました。
其れは私が母君代とセックスを始めた時と全く同じパターンで、
私の中に有る性に対する価値基準に基づくものでした。

私の「性に対する価値基準」とは。
生殖行為に基づく交尾は、本来的に子孫を未来に残す、と言う
生命の継承に関する神から与えられた崇高な行為で、
人間は愛し愛され、夫婦と言う関係のみに許される事で、
女性の膣内に男性の精子を放出し妊娠を目的に行うもである事。

そして性器の挿入を伴わない、或いは厳格に避妊の準備をして、
妊娠を避ける行為、(ペッテングやクンニングス、フェラチオン)は、
キッスや抱擁と同じで、好ましいと思う者同士のコミュニケーション
なのでで有り、癒しの行為だと思って居るのです。

妹、佐智子が私との行為の後で言っていた
『兄はこの期に及んでも私の中に射精して呉れないのが不満でした。
もう生理も終わり妊娠の心配も無いのに・・・
矢張り私達は本当の夫婦の様な関係には成れないのでょうか。
何に兄は拘って居るのでしよぅ。私は私の中に兄のザーメンを
一杯受入れて、蕩ける様な恍惚の時を共有したいのに・・・』

と言うのも母が生きてる間は母が私の妻で有るとの気持ちからで、
母が亡くなった今、初めて佐智子と“夫婦の行為”が解禁されたのです。

私は母の四十九日の法事を済ませ、親類達が皆帰った晩に、
母の遺影の前で佐智子を抱き、私の精液を佐智子の膣の中に注ぎ込み、
母に佐智子を妻とする事を報告し、二人だけの結婚式を挙げました。
佐智子は58歳、私は64歳に成って居りました。

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 戦後を生きた母と私と妹と。其の十 

◇妹、佐智子。其の二
08戦後を生きた母と妹と私
私は湯船から上がり、素肌に浴衣を羽織り私の部屋で待った。
程なくして佐智子があがってきた。佐智子は布団の端で、そっと浴衣を脱ぎ、
素っ裸で布団の中に滑り込むと、もの狂おしく私に覆いかぶさって来た。

佐智子の手が伸びて私のペニスを握る。私は腰を捻って佐智子の顔のところへペニスを運ぶ、
期せずして相舐めの体位(69)た゜。
オサネの先端を集中的に攻めると、
「もう、もう・・・・そんな、そんな・・・・」
喘ぎの合間には、感嘆詞を挟んでいたかと思うと、
「もう堪らないわ」と、私のペニスをガブリと咥えて呉れた。
オサネ攻めに対する返礼とばかりに巧みな尺八を吹奏して呉れる。

片手で竿をガッチリと支え持ち、頭を上下させて、口中深く浅く交互に舐めたり擦ったりしている。
深くのときは喉チンコに触れんばかりに吸い込み、浅くの時は舌先舌先で雁溝なぞりを専らにする。
ハードソフトを織り交ぜての刺激に一気に昂ぶってくる。
「嬉しい・・・お兄ちゃん気持ち良く成って呉れてるのね、
 わかるわ、だって先から本気汁が滲んでるだもん、私嬉しい・・・」

咥えた口唇を離して、それだけ言ったかと思うと、先程よりも強く激しく咥えこんで、
再攻撃を開始してきた。今度は支え持っている指を動かして刺激を呉れる。
片手で竿摺りするだけでなく、もう一方の手で、玉袋を逆撫でして呉れる。

「おぉ・・・凄く良い気持ちだよ・・・」
何かを訴え報告したくて堪らないのだが、口から出た言葉、月並みのヨガリだけだ。
「いゃーん、ハーモニカを止めないで、舐めるのを止めないで・・・
 もっともっと続けて・・・すいまくって・・・」
新しい愛液が、奥から溢れて来た、一滴も逃すまいと吸い捲くる。

二本指を束にしてGスポットを掻き揚げるようにして差し込んだ。
ザラザラの数の子天井が其処に有る。汁タップリの中を捏ね回すと、
指先に適度な壁肉が触れて、実在感が充満する。ぐじりと舐めを続行する。

「アーァン、たまらないわ・・・オマンコ壊れちゃう・・・」
ヨガリが直接語になり、卑猥の色で染め上がってくる。
指を締め付ける秘肉の蠢きはいよいよ強く激しく成ってくる。

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 愛情一杯の茶封筒。其の一 

投稿者 東京都在住 結婚歴26年死別 無職 HN望月 昭夫(74)
*注 本文の改行と、挿入写真等の選択は管理人が一任されております。

◇大好きなお兄さん
IMG_0349.jpg
「おや、これはなんだろうな」
もう年齢的にも、そろそろ身の回りの始末をつけるべき時期が
来て居る事も有り、年末に古い写真や郵便物を整理していたら、
二つ折りにした汚れた茶封筒が出て来た。

表書きはない。もしかすると死んだお袋が残したヘソクリでも
入って居ないかと思って、いそいそと開いてみると、黄色く変色した
便箋が二枚出て来た。私は、はっと胸をつかれる思いがした。

「民子が私に呉れた手紙だ」
長い間忘れていて、無くなった物と思って居た、
民子からの懐かしい手紙だった。

「そういえば、あの時俺は確かにこの封筒に入れて仕舞い込んだのだった」
手紙を読み返す前から、当時の事が私の脳裏にまざまざと甦って来た。
「民子、覚えているかい?この手紙を呉れてから、
 おまえは俺を頼って上京してきたんだよ。覚えているかい」

独り言を言っているうちに、目頭が熱くなってきて、
私は一人暮らしの老いの寂しさに泣いた。
涙に濡れた目に、ぼんやりと民子の手紙の文字が滲んで見えた。

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 愛情一杯の茶封筒。其の二  

◇純真無垢な笑顔
民子01
私が民子と知り合ったのは、私が新潟県庁職員で東京駐在のツアーコンダクター
等をしていた時の事だった
当時、私は県主催の物産店の企画や県立高校の修学旅行生の世話などをしていた。
民子はその修学旅行の高校生の中に居たのである。

新潟の海辺の町から修学旅行で上京してきた民子は、生徒の中でとりたてて
目立つ方ではなかった。と言うより地味な存在だった。
それなのに私が彼女に興味を持ったのは、
態度がきわめて慎ましやかだったからである。

修学旅行とあって、バスに乗って浮かれはしゃいでいる生徒達を尻目に、
彼女はいつもはじっこ席で、静かに私の解説を聞いていた。
すこぶる真剣に聞き入って呉れていたのである。まず、其の事が私の注意を引いた。
いつしか私は、重要なところでは、彼女の目を見て生徒達に解説するようになっていた。

次に私の目を引いたのは、ある建物を案内した時の事だった。
ズック靴を脱いで、スリッパに履き替える時に私は見てしまったのである。

なんと彼女の靴下は、目立たないように繕ってはあったが、
ツギハギだらけだったのである。私はショックを受け
「この子だけが、どうしてなんだ?」と思った。
その理不尽さに怒りさえこみあげてきた。

その理由(わけ)は間もなく判った。三時の休憩時間に成って、
その建物の周囲の庭で皆が一斉にオナツを食べ出した時だった。
ふと気に成って彼女を探したら、彼女は一人だけ群れから離れるようにして、
芝生の上に長い両足を揃えて投げ出していた。
(彼女は当時としてはわりと背の高い方だった)
私は背後からそっと彼女に近づいた。そして、また見てしまったのである。


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 愛情一杯の茶封筒。其の三  

◇やさしくして!
コーヒータイム
民子と私の文通が始まった。文通はだんだん頻繁になって、
暫くすると週に一度は手紙をやり取りした。
そして私は時々、小包で封筒と切手を20枚便箋を一冊送ってやった。

民子が高校二年生から三年生に成る頃には、私達はもうすっかり親しくなり、
民子は私の事を「望月のお兄さん」と呼ぶように成っていた。
その呼び方には少しばかり不満もあったが、
「望月さんみたいな、お兄さんがいたらよかった」と、ある時民子が書いて来たので、
それならそう呼んでもかまわないと私が返事したのである。
私は「民子」と手紙に書くようになった。

そして、それから一年近く経って、私は民子に「東京に来ないか」と
手紙に書いてやった。
まさか来るとも思えなかったけれど、この頃になると、私と民子は単なる

ペンフレンドとしてではなく、恋人として相手を思う様になっていたし、
私は「民子の傍で暮らせたら」と言う思いが募っていた。

それから一カ月もしないうちに民子から「東京にいきます」の連絡が有ったのだ。
この日は私の人生で三番目に素晴らしい日となった。
一番目は民子と出会った日、そして二番目は彼女と初めて結ばれた日だ。

「あ、ああ、お兄さん・・・望月さ~ん」
私が住んで居たのは古いビルの2DKの部屋だった。
秋の西日が当たる寝室のベッドで(私は安物ながらベッドを使っていた)
私は初めて民子の体を抱いた。

部屋でコーヒーを沸かして飲んだ後、私はドキドキしながら彼女に覆い被さっていった。
夢中で前後の事はよく覚えていないが、彼女の額にキスをし、頬にキスをしてから、
初めて口を吸いあった。其の事はよく覚えている。
民子の口は、コーヒーと一緒に食べたケーキの甘い味がした。


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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
別ブログでは「恋アザミ」等と名乗って
居りますが、その実態は演歌の作詞
や官能小説書きを趣味とする、
今年71歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から七年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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